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「理解はできない、しかし共有は出来る」中村馨章×伊藤亜紗トークイベントレポート
2026.07.10
REPORT
自身の難聴・失聴経験から「音とコミュニケーション」「聴覚と視覚の関係性」を主題に制作を続けるアーティスト・中村馨章。彼の個展『Cyborg Butterfly: Threshold』開催を記念し、美学者の伊藤亜紗とのトークイベントが行われた。また、参加者はトークだけでなく実際に作品を体験した。
中村は2013年から人工内耳を装用し、「音のある世界とない世界」の両方を知りながら、そのどちらにも完全には属せない立場から表現を追求する。一方、伊藤は「自分と違う体」を持つ人々へのインタビューを通して研究を続ける美学者だ。身体や知覚に深い関心を寄せる二人の対話は、まさに互いの探究が交差する場となった。
「まずは体験して感じてもらいたい」触れる絵画から始まったイベント

参加者が絵画を体験する様子
「まずは体験して感じてもらいたい。どれも見るだけではなく、触れて感じてもらう作品」という中村の意向により、作品の解説前に、絵画作品に実際に触れられる体験が行われた。絵画の中には骨伝導スピーカーが組み込まれており、ブラックライトで浮かび上がる指紋の箇所に触れることで、スピーカーから流れている音を聴くだけでなく、振動を感じられる仕組みだ。参加者は変わるがわる中村の絵画を「体験」することになった。
中村と伊藤氏は、「人によって触り方が違いますね」と観察眼を光らせた。何度も軽く触れる人もいれば、親指や人差し指、指の腹や先など、細かい使い方が異なる様子も指摘した。また、触れてもあまり感じない人や、すぐに振動を感じ取れる人もいた模様だった。作品に触れる行為そのものが、参加者ごとの感覚の差異を可視化していたのである。
これを受けて中村は、今回の展示で最も伝えたいこととして、「みなさんが聞いている音や、振動など、感じている世界はまったく違います」と語った。「違いは決して理解し合えない一方で、共有することはできる。そして大切なのは、同じ作品に触れても感じ方は人それぞれです。私も皆さんと違うし、それぞれが違った感じ方をしています」と続けた。この「共有はできる」という言葉は、その後の対話全体を貫く軸になっていく。
音と沈黙の間から:中村が語る“中間”の感覚

トークイベントの様子
1階作品について、中村は「人間と機械の融合した姿」を蝶の変容として表現し、そして「中間者としての表現」であると説明する。彼の制作の出発点は「音とコミュニケーション」、あるいは「聴覚と視覚の関係性」への関心だ。2013年から人工内耳を装用している中村は、「音のある世界とない世界」の両方を知る立場にありながら、そのどちらにも完全には属せない。彼はその「中間」という固有の位置から表現を追求している。
中村は「音と沈黙の間から表現したいと思ってます」と語る。この言葉に強い関心を示したのが伊藤氏だ。伊藤氏は「耳が聞こえる人にとっては、音と沈黙はまったく別のもので、そこに間があるとは想像がつかない」と応じ、その未知なる世界について問いを投げかけた。
これに対して中村は、「厳密には、例えば男女の間がグレーゾーンで分けられないように、二項対立にはできません。その中間は幅広く、厳密に線引きできません。間とはある種の広がりを持った領域なのです」と答えた。
「Threshold、つまり閾値は、その間の中でピンポイントに定める部分です。例えば補聴器のオン/オフの瞬間や、二世帯住宅の家にあるドアを行き来するようなものです。私はそうした音の世界とそうでない世界のあいだにいます。その視点から表現し、観客をその世界に招いているのです」
「領域としての間に佇む」という自己認識こそが、人間と機械の融合を描いた1階作品のみならず、彼の作品全体を貫く発想の根底となっている。
「蝶々ってすごい音が鳴るものだと思った」――モチーフに込められた二つの理由

参加者が絵画を体験する様子
2009年に描いた日本画の頃から使用している(オオゴマダラ)蝶のモチーフは、幼少期の体験に由来する。補聴器を使い音がわずかしか聞こえなかった頃、蝶のひらひらとした不規則な動きから「羽ばたくと大きな音が鳴るものだと思っていた」という。僅かな音と、視覚から受け取った情報から、音を想像する習慣があったそうだ。中村にとって、その不規則性が音の感覚と結びついていたのである。後に友人から「蝶々って音がないんだよ」と聞いて初めてその違いを知った。
もう一つの理由は、蝶をキリスト教において天にも地獄にも行けない存在、すなわち中間者、また伝統的に生と死である物質と非物質の境目を行き来する精霊として読んだことが、自身の感覚と重なったからだという。
「私自身、幼い頃に、ある場所では聴覚の障害がないと言われ、別の場所では障害があると言われ、その度に自分のアイデンティティが変わってしまう。その矛盾を抱えていました」と、これまで感じてきた経験を、蝶に重ね合わせたのである。
参加者が触れることで感じる振動についても、「蝶々に触れているということになる」としつつ、それは蝶の羽ばたきの振動を視覚へと変換する試みだと説明した。「蝶というものを表現したというより、視覚を表現してる」と言う。さらには「知覚の表現」とも説明する。蝶は、自身の知覚を外化するための媒体として機能しているのである。
作品の細部にもその考えは表れている。中村は、蝶の銀箔の部分はインプラントを示しており、ピンク色を用いているのは脳の発火のイメージだと説明した。音を聞いているときには脳内のシナプスが発火しているのが自分でも分かる感覚があり、そのイメージを焦げ跡などで表現しているという。ここでも、生物的な身体とテクノロジーが分離されたものとしてではなく、融合したものとして扱われていた。
現実は頭のなかで組み立てられる:幻覚の可能性

トークイベント中の2人
対話の中盤では、知覚そのものをどう捉えるかという話題へ進んだ。伊藤氏が、聞こえていなかったときに想像していた音と、人工内耳によって聞こえるようになった音は違うのかと尋ねると、中村は「勝手に修正、変換っていうのは行われてると思います」と答えた。聞こえる音が聞こえなくなったり、逆に聞こえていなかった音が脳内で作られたりする実感があるという。
その延長で中村は、「僕らが聞いてる音も、僕は幻覚だと思ってて」と語る。人工内耳で初めて音を聞いた際、目の前にいた母親の口が動く前に、音のほうが先に聞こえたように感じたという経験が、その感覚の出発点になっている。通常の因果関係とは異なる知覚の立ち上がり方を体験したことで、音もまた脳内で構成されるものだと考えるようになったという。
この話に対し伊藤氏は、視覚障害のある知人が、聞いた音をすべて視覚に変換して「自分で作った映像の中に住んでるみたい」と話していた例を紹介した。盲導犬の動きをVRのような内的映像として捉え、その世界を自分で編集することさえあるという。これを受けて中村は、「アニル・セスが言っていたように、脳が生成する幻覚のようなものですね」と応じる。両者の対話は、現実の知覚経験と頭のなかで構成される世界との境界を問い直すものとなった。
「振動は存在」触れることで立ち上がる他者の気配

作品「Threshold7」を体験する参加者たち
2階では、ワイヤーや木、カーボンなどを組み合わせたインスタレーションや彫刻作品に参加者が触れ、音の有無や落差、振動の伝わり方を体験した。中村は「2階沈黙と音を体験し、自己の内面を見つめる場」と述べ、触覚から音への変換、あるいはその境界線に焦点を当てていると説明した。
この場でも、参加者の感想は対話を深める契機になった。ある参加者は、形を作ることと音が生まれることが近くにあるように感じられ、「形を起こすことが、そのまま音を作ることにつながってる感じがして、嬉しかった」と述べた。また別の参加者は、1階の絵に触れて振動を感じた経験から、「振動=存在なのかな」と受け止めたという。2階では、振動している場所と音が聞こえる場所のずれを経験し、その距離感の揺らぎを通じて「(中村さんが)感じてらっしゃる世界なのかな」と考えたと語った。
伊藤氏も、2階の壁に張られた作品である「Threshold7」の端を握って、視界が遮られた先にいる誰かの存在を、振動から想像していたと振り返る。「向こうに何か生き物がいるという原初の喜び」があったと笑みを浮かべた。まるで電線に並んで止まっている小鳥を想像したのだという。
それらに応じて中村は、「共有しようとしているものがそれぞれ全く違うのだけれど、皆さんのお話を聞いて、近くの違いを感じられていることを実感しました」と語った。ここでも繰り返されたのは、差異の消去ではなく共有の可能性だった。

トークイベントの様子
「世界を把握するための道具の1つ」触覚への信頼
2階の話題から、対話は触覚そのものへ広がった。伊藤氏が、中村にとって振動がなぜ重要なのかを尋ねると、中村は「小さいときから、嗅覚は弱かったが、その分知覚と触覚が強かったと」と答えた。触覚は単に代替的な感覚ではなく、「世界を把握するための道具の1つとして捉えている」と述べる。
中村は「頭蓋骨に入っている脳が情報を得て世界を形成するわけですから、足も触覚になります。体全身が触覚になりますので」と話し、微弱な振動や手触りを含め、身体全体で世界に接している感覚を示した。なかでも指先は、ある本によると物を使ったり絵を描いたりするために多く用いるという。何かに触れていないと落ち着かず、「例えば何かをこねてると、もう1日中できる」と述べた場面からも、触覚が知覚の核を成していることがうかがえた。
「治療ではなくて、新しい知覚」――テクノロジーをどう捉えるか
終盤では、テクノロジーが中村にとってどのような存在かが語られた。伊藤氏の問いに、「テクノロジーは治療ではなく、新しい知覚の道を開くものです」と答えた。そもそも、障がいはオリバー・サックスが主張していたように、欠如ではなく、特定の感覚が突出しているのだと中村は考える。「木製品の作品は、元々あった肉体と脳が、人工内耳の音による脳の可塑性によって、変質していく様子を表現しています」
中村は、人工内耳の手術後に周囲から「聞こえるようになった」と言われた経験を引きながら、それはそうした回復の物語ではないと強調する。「まったく別の」「新しい知覚の道を切り開いて」いるのであり、以前の状態に戻ったのではないという認識である。
この見方に対して伊藤氏も、自身の研究でテクノロジーによって身体の変化を経験した人々に話を聞くと、皆「前の体に帰ったわけじゃない」と語ると応じた。交通事故や病気による切断後、VRを通じて身体感覚を扱う例に触れながら、そこでも「新しい手」「新しい自分の体」を獲得していく感覚が語られると紹介した。
中村の作品において木とカーボン、身体と機械、自然物と人工物が一貫して組み合わされているのは、こうした認識と無関係ではない。1階の絵画パネルも木でできており、骨伝導の仕組みを取り入れている。2階でも木材とカーボン素材が用いられていた。中村は、木を自分の肉体と重ねながら、変化しうる身体、変身する知覚を作品の構造そのもので示そうとしていた。
「問いかけ」としての作品が残したもの

左)伊藤亜紗 右)中村馨章
イベント全体を通して浮かび上がったのは、中村が繰り返し語った「理解することはできないけど共有はできる」という感覚であった。中村の作品が一義的な意味を伝達するものではなく、見る人・触れる人それぞれの知覚を揺さぶる「問いかけ」を、参加者がそれぞれ体験することで、その違いを消さないまま、同じ作品に向き合い、言葉を交わし、知覚の輪郭を少しずつ確かめていく。『Cyborg Butterfly: Threshold』の体験型トークイベントは、そのことを具体的に示す場となった。