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美術評論家・土方明司が語る、中村馨章の音の世界とコミュニケーションの可能性
2023.02.22
ART NEWS
中村馨章『In Between-Resonance』Whitestone Ginza New Galleryにて
沈んでは浮き、霞のように漂う文字たち。キャンバスに現れる文字と鮮烈な色彩を特徴とするのが、現代アーティストの中村馨章だ。聴覚に障碍をもち、後に人工内耳を装着することを選択した中村は、自身のその経験とコミュニケーションへの可能性をキャンバスに描き出した。本記事では、中村馨章がアートを通して表現する世界を、美術評論家で川崎市岡本太郎美術館館長の土方明司が解説。2022年6月にホワイトストーンギャラリー銀座新館で開催された個展『In Between-Resonance』の様子と共にお届けする。
中村馨章の作品に寄せて
川崎市岡本太郎美術館館長、美術評論家
土方明司
2022年6月、中村馨章は新作を中心とする個展を開催した。(ホワイトストーンギャラリー銀座新館)。展覧会名は「In Between-Resonance」。会場は4つのシリーズで構成され、それぞれ「A World without Sound」「Pink sounds」「Timbre」「Noise」と名付けられた。これを見ても分かるように、作品はどれも目に見えぬ「音」がモチーフとなっている。中村は聴覚に障碍を持つ。聴覚障碍者として感じる世界観をアートを通じて表現しているのである。
「A World without Sound」は、対話する音の世界をテーマにした作品。実際に使っている筆談のメモを貼り付け、その上に人工内耳で聞いた音から感じた色を着彩している。画面は赤色を基調としている。発火直後の炎のように赤く塗られた表面は、ときに激しく揺らめき、複雑な感情と感覚の起伏、うねりを感じさせる。
展示風景より「A World without Sound」シリーズの一部アップ
「Pink sounds」は、音のある世界と、無音世界との断絶と越境を表現している。音のある世界をピンク色で画面左側に表現している。ピンク色を用いたのは10年前に初めて人工内耳を装用した時、音がピンク色に感じられたためである。画面右側は黒く塗られた無音の世界。黒色は墨を使用し、また岩絵具、銀箔も併用している。この技法は、彼が東京藝術大学日本画科で習得したものである。左側のピンク色のアクリル絵具から右側の墨の部分へのたらしこみも、日本画の伝統的な技法を応用したものだ。これにより、二つの世界の境界と越境を暗示する。また、化学顔料であるアクリル絵具と、天然顔料である墨の対置と越境も彼の世界観を示唆するものである。
展示風景より「Pink sounds」シリーズ
「Timbre」は、対話する音の世界を表現している。画面に書かれた筆談の文字の上にはオレンジ色を基調とした色彩が塗られている。表現主義的な色彩、筆法と、文字の組み合わせが独自の表現を生んでいる。画面全体に意図的に散らされた白い顔料によって、筆談の文字は判読しにくくなっている。人工内耳による不鮮明な音声。手間のかかる筆談。容易に成立しないコミュニケーションによる、もどかしさと苛立ち、また悲しみの波動が画面から伝わる。暗い背景と激しいうねりを見せるオレンジ色のフォルム。その深く混迷した世界に、明滅する星のように書き込まれた筆談の文字。画面からは深い闇と同時に透徹した光の存在が感じられる。
展示風景より「Timbre」シリーズ
「Noise」は中村の作品にとって最も重要なモチーフと考えられる。無音世界で絶えず聞こえてくる混沌とした音の世界を表現したもの。モノクロームを基調とした画面は、無明の深い混沌と一条の光を表現し、彼の精神の原風景を暗示させる。画面上には筆談や通訳に使われた文字が書き込まれている。これは、作品を見る者が実際にこの文字を読むことで、中村が日ごろ感じているコミュニケーションのズレを感じることを促す。そのほか、画面には重層的にさまざまなモチーフが描き込まれている。幾何学的な円形は、無音の世界がもたらす無限の時間を象徴する。また、断片的に見える人物は手話を使っている実在のダンサー。この人物の断片や様々な不定形なフォルム、また意図的に残された刷毛目などが相乗して、目に見えぬ多重的なノイズの世界を表現している。
展示風景より「Noise」シリーズの一部アップ
中村はこの展覧会で、幼少期より感じてきた音や言語に対する感覚とイメージを心象風景として描いた。そしてその風景を見ることで、見えない境界線により隔てられた他者に対し、何らかの共感できる接点を見つけて欲しいとする。アートは本来、癒しやセラピー以上に普遍的なものであり、アートで個人を表現することで人間同士のコミュニケーションを生む力を持つ、と中村は確信している。アートを通じて他者との共感とコミュニケーションの可能性を確信し、その信念を制作の原点に据えているのだ。この確信に至るまでにはさまざまな試行があった。
展示風景
中村は2005年、東京藝術大学日本画科に入学した。日本画を選んだのは、伝統的な美術のフィールドで、自分の居場所と他者とのつながりを見出したかったからだと言う。学部時代の作品は、岩絵具と膠による伝統的な日本画の技法で、幻想的な画風を示した。幼少期より聖書に親しんでいたこともあり、神話における神と人の関係性、普遍性の意味などを念頭においている。卒業制作の「白日夢」は夜の交差点に無数の蝶が舞う幻想的な情景を描いたもの。描かれた蝶は、不安と苦しみのなかで生きる人間の暗喩であり、また、音や言語の暗喩でもあった。この作品は高く評価され、卒業作品中首席となり、台東区の買い上げとなっている。蝶のモチーフは大学院に進んでからも描かれ、希望と絶望、生と死の両極を表現している。同時にまた、深い孤独に生きる自己および人間存在の暗喩ともなっている。
展示風景より「A World without Sound」シリーズ
修士終了後の2012年に人工内耳を装用する。この事は音声だけでなく、視覚、空間、時間の知覚に多大な変化をもたらした。「脳裏に散りばめられた言語の断片と捉えがたい色彩との関係がパラレルに再構成され」「自己のコミュニケーションの仕方が大きく変わった」としている。人工内耳を装用した翌年、大学院博士課程を休学し、マンハッタンに一年間留学する。この渡米経験は作品表現の幅を飛躍的に伸ばすこととなる。アメリカにおける人種問題や障碍者への差別と、それを乗り越えようとする意識と行動は、日本とはまったく違うものであった。
また多様な現代美術作品、また障碍に関する現代美術のアプローチに接したことは強い刺激となった。これが引き金となり、伝統的な日本画の領域を離れ、制作意識と表現手法の大きな転換を計ったのである。またこれに加えて、偶然日本で Joseph Grigely の作品を見たことも大きな刺激となっている。Joseph Grigely は、ニコラ・ブリオー(美術における関係(relation)の創出、コミュニティ・アートなどの理論的な指導者)の影響を受けたアーティストである。
こうして渡米後は日本画の枠を離れ、現代美術の領域で制作することに舵を切った。これにより、境界を超えるコミュニケーションツールとしてのアートの有効性を強く認識し、積極的に新たな制作に取り組むことになったのである。「人々の間に存在する聴覚と視覚に関わる境界と、コミュニケーションの接点や限界を探求したコンテンポラリーアートを表現し、特に『空間において、素材・音・言語がどのように視覚・聴覚空間に相互作用して知覚の境界を超えることに寄与するか』を探求」することに自らの制作の方向性を決めたのである。
2015年に東京藝術大学大学院博士課程後期修了。その後、再び渡米しメリーランド・カレッジ・オブ・アートで学び、2020年には同校修士課程を修了している。この間、聴覚障碍者と健聴者の間にある境界をアートによって乗り越え、繋ぐことを目指す制作が続いた。実際の作品は、自然素材、音、言語を組み合わせたインスタレーションによる、インタラクティブアートとなっている。アメリカではこれらの作品に対し、自然と人工(音響)の出会いという点で、「関係性の美学」(ニコラ・ブリオー)や「もの派」との関連も指摘された。
Pinocchio’s Transformation (2019) at Maryland Institute College of Art, Chair, strings, acrylic, amplifier, speaker, guitar tuner, screw, 36.5 x 38 x 90cm
修士課程を修了後、シンシナティにある Wave Pool Gallery と契約を結び3回の個展、数回のパフォーマンスを行っている。どれも木や石などの自然素材や、楽器などを使ったもので、観客が実際に触れたり、音を出すことによる参加型の展示となっている。さらに帰国直前の2021年9月には、ミネソタ州のアーティスト・イン・レジデンスに採用され、2か月間滞在し同州のフランコニア彫刻公園で作品を制作した。
A Pure Sound World (installation) (2021) at Wave Pool Gallery, Tree, found objects, resin, 710 x 710 x 300cm
こうしたアメリカ滞在中の様々な実験的な試みにより、中村は、コミュニケーションツールとしてのアートの有効性と可能性を確信するに至った。つまり、自己の障碍に積極的に向き合い、表現に転化させることで、あらゆる障壁を乗り越える可能性を確信したのである。
帰国後初めてとなる個展は、前述のごとく中村作品の原点となる絵画に立ち戻り、心象風景の連作を描いた。この小稿の最後に、これらの作品に寄せた中村自身のメッセージを記しておく。
「この表現に触れた観客が、不確かな存在であっても社会の場で強く生きるということを感じ、また観客がその風景と対話することで想像力を掻き立てられ、境界線により隔てられた他者に対してお互いに何らかの共感できる接点を見つけることを願っている」
中村馨章
展示風景