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第一回 “現代アートとは?”を知ることで、作品の見方が深まる

2025.12.15
FEATURE

現代アートのコンパス:『つながる・ひろがる(越境・拡張する表現領域)』展を手がかりに

現代アートを前にした時、しばしば「どう見ればいいのか分からない」という戸惑いにぶつかる人は多い。難解だったり、全く意味が掴めなかったりで、途方に暮れてしまうこともあるだろう。だが、そうした分からなさもまた、現代アートの楽しみ方の一つである。

本連載では、現代アートを様々な切り口から捉えた、軽井沢ニューアートミュージアム『つながる・ひろがる(越境・拡張する表現領域)』展を一つの手がかりとして、作品をみる視点を探っていく試みである。第一回では、そもそも、「現代アートとは何か?」という問いから出発する。

現代以前のアートとは?

古くから人間はアートと関連があった。洞窟の壁に描かれた絵は数万年前から存在する。何かを「視覚的に伝える」手段として存在してきた。宗教の布教や、低い識字率を補うための情報の伝達手段として、アートは社会とともに発展してきた。そこではいかに正確に描かれているか、美しさで人の目を引けるかが重要視された。そのために技法は磨かれ、鑑賞者は何が描かれているのかを見て知った。

しかし、19世紀から20世紀にかけて文明が発展していき、「写真」など、現実をそのまま写しとることができる技術が登場することによって、美術は「視覚的に伝える」だけの役割から変化していく。アートは新たな目的を求め、その流れから現れたのが現代アートである。

“現代”アートとは?「伝える」から「考える」ものへ

現代アートは、20世紀以降、または第二次大戦以降の芸術と言われる。絵画や彫刻など、既存の形式にも縛られず、表現方法にもとらわれない。更には、何らかの社会的なメッセージを含んでいたり、鑑賞者に問いかけてくる姿勢のものが登場し始めた。

最も有名な現代アート作品の一つであり、アートという概念の転換点となったのは、1917年に登場したマルセル・デュシャンの「泉」だ。「泉」は男性用の便器にサインしただけのものだった。これを当時お金さえ払えば誰でも出展できるニューヨークのアンデパンダン展に展示を拒否された。既製品であり、排泄物を扱うものにサインをしただけではアートとは呼べないという理由だった。

しかしデュシャンは<レディ・メイド>と呼ばれる、自分で作り出したわけではない、既製品の中にある美を「発見」して、作品として扱う概念を「泉」によって生み出した。また、「美しさ」を意図して制作されていない工業製品等のレディメイド(既製品)をアートとして提示することにより、「アートとは何か?」という問いを世界に突きつけたのである。

こういった、コンセプトやアイディアを重要視した芸術を<コンセプチュアル・アート>という。作品の価値は生み出すための技術や美しさではなく、今まで誰も見たことのないアイディアにこそ宿るという考え方だ。この考え方を生み出したことにより、現在ではデュシャンは「現代アートの父」と呼ばれている。

他にもデュシャンは様々なアプローチを続けていた。”ロトレリーフ”は デッサンだが、工業製品という目的で制作された。 ©Karuizawa New Art Museum

他にもデュシャンは様々なアプローチを続けていた。”ロトレリーフ”は デッサンだが、工業製品という目的で制作された。 ©Karuizawa New Art Museum

日本の戦後美術にも起きた“表現の解放”——具体美術協会

具体美術協会の元永定正、田中敦子の作品

具体美術協会の元永定正、田中敦子の作品

デュシャンが提示した「アートとは何か」という問いは、欧米だけのものではなかった。日本の戦後美術でも同様の問いが立ち上がり、答えを模索している者たちがいた。その象徴が、1954年に吉原治良により結成された具体美術協会、通称・具体である。

具体は戦後、高度経済成長期に突入する日本で、新しい美術を求める中で生まれたグループであり、藤田嗣治から受けた絵画の理念を拡張した「絶対にひとのまねをするな」「今までになかったものを作れ」という制作信条を掲げていた。吉原や具体のメンバーらは、従来の絵画や彫刻ではない、足で描く、紙を破る、絵の具を投げつけるなど、新たな手法を用いた芸術を模索し、作品を次々に発表していった。

写真や印刷技術が発達し、世界中でアートの役割が変わりつつあった時代に、日本でも「何をつくるか」だけでなく「なぜそうするのか」「行為がどのような意味を持つのか」が問われ始めたのである。具体は、まさに日本の現代アートが大きく動き出した一例であり、現在において、世界的にも高い評価を受けている。

こうした歴史を踏まえると、現代アートは西洋の模倣ではなく、世界各地で同時多発的に“表現方法や形態が拡張していった現象”としてとらえることができる。

ポップアートの現在形としての下田ひかり

下田ひかり “Children of This Planet #63”

下田ひかり “Children of This Planet #63”

今回の展覧会では、こうした歴史的な流れを踏まえた現代作家たちの作品が2025年に行われている『つながる・ひろがる』展ではメインビジュアルとして採用されている下田ひかりが、現代的なポップアートのひとつの姿を提示している。

ポップアート>は1960年代に確立した表現であり、広告、漫画、流行文化など、日常にあふれるイメージを大胆に取り込んだ点が特徴である。大量生産・大量消費の象徴を扱いながら、「私たちは何を見て、何を欲望しながら生きているのか」を問いかける批評的な側面を持つアート表現である。

下田の作品は、日本の漫画やアニメのかわいい要素を取り入れながら、子どもたちの姿を通して、人間の内面に潜む葛藤や不安を鮮やかに描き出している。一見、カラフルで柔らかなタッチに見えるが、その表情は不安げに揺れ、傷ついている。また、作家の住む長野の信濃毎日新聞に掲載された戦争や災害などの事件の記事をカンヴァスに貼り付け、その上からカラフルなメディウムで色を塗り重ねている作品もある。明るい色彩の背後に、社会の深層や絶えることない争いなど、現代的なテーマが潜んでいるのを視覚的に用いている。その多重性が、ポップアートの魅力の一つである。

下田ひかり”Neo Raigo-zu”のクローズアップ。朱色の下に新聞記事が透けて見える

下田ひかり”Neo Raigo-zu”のクローズアップ。朱色の下に新聞記事が透けて見える

日本の戦後から現在に至るまで、表現の領域はまさに“つながり・ひろがり”続けている。表現の領域が“つながり・ひろがり”続けるなかで、こうした現代的なポップアートがどのように展開していくのか、今後の動向にも注目したい。

また、下田ひかりは12月13日から軽井沢ニューアートミュージアム内のホワイトストーンギャラリー軽井沢で個展「傷付き、壊れたものたちへ」も開催される。美術館での展示と、ギャラリーの展示の違いを比較することで、新しい発見があるかもしれない。

下田ひかり: 傷付き、壊れたものたちへ

基礎を知り、越境を楽しむ

現代アートには多様な表現があり、それぞれが異なる問いを鑑賞者に投げかけてくる。今回紹介した「視覚的に伝える」から「考えるもの」への転換、表現の拡張といった流れは、現代アートを理解する上での重要な手がかりだ。

しかし、『つながる・ひろがる(越境・拡張する表現領域)』展が提示しているのは、さらにその先の景色である。「現代アート」という枠組みさえも越境し、漫画・アニメ・音楽・スポーツなど多様な表現の中で、ジャンルの境界線を曖昧にしていく作品たち。今回紹介した下田ひかりをはじめ、そこに集められた作品は、既存の括りでは捉えきれない、最先端の表現の可能性を示している。

括りを知ることで、括りを越えていくものの面白さが見えてくる。知識と感覚のどちらか一方に偏るのではなく、いくつもの角度から作品に向き合ってみることで、現代アートは一層面白くなる。

本連載は、そうした鑑賞のための「コンパス」である。これから様々な切り口で作品と向き合いながら、あなた自身の方位を見つけていく試みに、ぜひお付き合いいただきたい。

軽井沢ニューアートミュージアムの展示風景 ©Karuizawa New Art Museum

軽井沢ニューアートミュージアムの展示風景 ©Karuizawa New Art Museum

つながる、ひろがる(越境・拡張する表現領域)

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