ARTICLES
川島優が描き出す、墨と岩絵具の世界の内側
2025.10.30
INTERVIEW
墨を基調とし、現代社会に渦巻く不安や生の渇望を描き出してきたアーティスト、川島優。10年という節目に開催される個展で、自身のルーツである「日本画」へと深く立ち返り、表現の本質を問い直す。川島が見つめるリアリズムの先に広がる世界とは。
色を抑制していたこれまで

川島優《Revelation》2024、50.0 × 72.7cm、麻紙・墨・胡粉・岩彩・プラチナ箔
近年、モノクロ以外の色を用いた作品も制作するようになった川島に、作品表現や制作プロセスにどのような広がりや変化を感じているかを尋ねた。
「元々、モノトーンで描いている認識はなく、色を抑制している」認識の方が強い。「抑制している中で、一つ色を解放していっているようなイメージ」で、色を用いるようになったという。今まで描いてきた作品にも、モノクロに見えたとしても、川島の中では色彩感や色のようなものを感じながら描いていたことは、以前岡本太郎美術館館長の土方明司との対談でも語っている。それをより視認性を上げて描いたのが今回のシリーズとなる。
色の選定の基準は、作品のテーマに準拠している。今回の展覧会においては、赤や黄色といった暖色が選ばれている。これまでの作品は、モノクロームではありながら寒色を想起させるものが多かったが、「僕自身の情念や、魂に近い部分の感情的なものを、より露出させていきたい」と考えた時に、自然と感じる色を手に取りたくなったそうだ。
その1つである赤色には、太陽や血の色など、生きることに関する様々なものが想像できる。博士論文を執筆時に制作した「リアクター」という作品は、人工の太陽をモチーフにしている。太陽は「人類にとって未知のエネルギーであり、神に近いものを感じる」からこそ、自分自身の中に作り出す、というコンセプトとして作品を制作した。ここから始まった川島の制作は現在の作品へと通じているため、本展のコンセプトとして現れているのかもしれない。

川島優《Citrintas》2025、91.0 × 91.0cm、麻紙・岩絵具・墨・プラチナ箔・銀箔
一方で、黄色については、川島にとって金に近いイメージであるという。もともと銀箔やプラチナ箔といった寒色系の箔を使用しているが、対照的でより主張が激しい金色を用いることによって、「自分の違う側面を引き出すため」意図的に使っている。
原色を用いる理由は、「日本画的な素材の良さ、直接的な色を必然的に見せていけたら」という考えからだ。混色による中間色ではなく、「日本画で岩絵具を使っている」認識から、原色の天然の岩絵具を選ぶ。その上で、画面への癒着をよくするため雲母(きら)を混ぜ、最近は新たに見つけた虹色のような混合色の雲母を、自身の感覚に合う色と組み合わせて使っている。原色の強さと混合色の繊細な輝きを共存させながら、自分の色彩感に合うテイストを探求している。
形のないところから探っていく

川島優《無(2)》2025、33.3 × 24.2cm、麻紙・岩絵具・墨
川島の作品は少女のモチーフの印象が強いが、今回の展覧会では抽象画も扱っている。デビュー前から川島は抽象画も描いていたが、今回の展示の意図を尋ねた。
「昔は『薬』のシリーズとして、人間の感情に関係する薬の名前をタイトルにつけていました。薬を投与した時に感じる、形のないモヤモヤしたものを描いていたんです」
現在の抽象画はそこから派生して、現代社会に生きる中で感じる「空気感」のようなものを描いている。川島が現在住んでいる東京で感じる「クリアでもない、でも、なぜかしっくりくる」、故にこの場所にいてしまうという空気感。人物画では表情や、コンクリート、幾何学模様といった要素から見えてくる空気感があるが、それらに頼らず、「自分の中にある感情的なところから引き出そう」という試みている。
反響と二面性

アトリエでの作家の様子
今回の展覧会のメインビジュアルが2点であることに関しては「表と裏を見せたかった」。華やかなモチーフの作品と、影に隠れたような少女像の対比で、川島の中にある表面的な部分と内面的な部分の二面性を浮かび上がらせる。その2点が、互いに反響し合うという意味で「Reflection」という展覧会のタイトルに繋がっている。
更に「Reflection」には、これまでの川島から今の自身に至る中で感じるものや、その経過、変化を見せたいという主観的な意味と、世の中の動きという意味の2つが込められている。
「今の社会は、何かが変わると何かに影響していくことがとても強く感じられます。ネットで誰かが何かを書き込むと、それを見てまた違う誰かが何かを感じるように」連鎖的に反響し合っている感覚を、川島は作品に反映している。
作品は図像ではなく形態

川島優《Purify》2025、91.0 × 60.6cm、麻紙・岩絵具・墨・プラチナ箔・銀箔
個別の作品のタイトルは、川島にとってまさしく「意味」である。一方で、作品自体は「無意味」であると断じる。何故なら「『図像』ではなく『形態』であり、それこそが『絵画』だから」と川島は言う。
「今の時代は分かりやすいものが求められがちですが、アート作品は、意味よりも表現が先行するものだと思うんです」作品を作るアクションやエフェクト、表現そのものが、見る人に様々な考えを引き起こす。形態がただの形だけにとどまらず、その中に作者だけが分かる意味がある。それが川島にとってはタイトルなのだろう。
作品が「無意味」であると断じるのは、鑑賞者が好きに受け取っていいことの現れである。
「作者が「これはこういう意味です」と言ってしまったら、それが正解になって話が終わってしまう。それはデザイン的なものかな?と。アートは多様性だと思っているので、いろんな解釈や見方ができる作品の方が、共感性も強くなっていくと考えています。
リアリズムの延長線上で描く「表徴」

アトリエでインタビューを受ける川島
川島は今回の創作活動について、「日本画に立ち返った」。「原点に返ることで、新しい何かを見つけていきたい思いが一番ありました」と彼は語る。画家としての活動をスタートした当時、日本画の様式をした現代美術として作品が受け入れられたものの、やはり自身の根底には日本画があるのだという。
美術史における自身の位置付けについて、川島は表現として日本画を用いているが、自身は「リアリズムの延長線上にいると考えている」と述べている。ただし、それは単なる写真のような描写のリアリズムではなく、キュビズムやシュルレアリスムといった流れの先にある、自分自身のリアリズムを求めて描いているのだという。そうした認識のもと、彼は自分を絵描きであると捉え、今の時代の絵画でありたいと考えている。
作品制作における最終的な目標を尋ねると、川島は「表徴(ひょうちょう)」を挙げた。作品は図像から形態になり、そこに自分の観念的な意味が帯びた時に表徴になるのだという。彼が目指す「表徴」の境地は、単なる技法や様式を超えた、真の意味での現代日本画の在り方を私たちに提示している。
川島の探求はこれからも続く。作品が見せる変化や響きは、実物を前にして体感してほしい。