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田中敦子と具体|具体が田中に与えた影響と退会後の軌跡

Work, 1955, Rayon, 1000 x 1000 cm / 2007 reconstructed for the documenta 12, Kassel Germany, Photo by Mizuho Kato @Ryoji Ito

具体美術協会に関して発行された書籍『GUTAI STILL ALIVE 2015 vol.1』をデジタルアーカイブとしてお届けするシリーズ企画。第25回目は具体メンバーの田中敦子にスポットを当てる。具体時代の代表作《電気服》が有名な田中だが、具体退会後も精力的に活動を続け、2007年にはドイツの国際美術展「ドクメンタ」出品、2012年には東京都現代美術館での回顧展開催など、没後ますます評価されている。そんな田中と具体の関わりを、回顧展開催などに携わった美術史家・加藤瑞穂が語る。


田中敦子と具体

加藤瑞穂(美術史家)


「ドクメンタ」は1955年より4、5年毎にドイツのカッセルで開かれてきた大規模かつ歴史的にも定評のある国際現代美術展である。その12回目となった2007年夏、会場の一つであるアウエ・パヴィリオン横の芝生の上に、出品作品の一つとして10メートル四方の鮮明なピンクの布が出現した。それは地面から30センチの高さに張られ、わずかな風にもたえず波打ち、その艶やかな表面が太陽の光をきらきらと反射していた。世界中から訪れる来場者たちの目を一瞬のうちに引きつけていた本作の作者が田中敦子(1932―2005年)である。1955年に初めてそのオリジナルが発表された巨大なピンクの布以外にも、ドクメンタ12では《カレンダー》(1954年頃)、《電気服》(1956[1986]年)、《電気服》に基づく素描(1956年)など1950年代半ばの代表作が展示された。続いて翌年には「レヴォリューション:回転するかたち」をテーマにした第16回シドニー・ビエンナーレで、20個のベルをつなげた《作品》や1960年代半ばの主要作品の一点《Spring 1966》が選ばれた。

このように海外の国際的な現代美術展で、具体美術協会(具体)解散後に具体あるいは戦後美術という枠組みから離れて単独で作品が取り上げられたのは、具体メンバーでは田中が最初である。欧米の公的機関での回顧展開催も具体メンバーの中では最も多く、2002年以降2011年までの間に、インスブルック、ニューヨーク、バンクーバー、バーミンガム、カステジョンの5カ所で実現している。具体の一員としてではなくあくまでも一人の作家として評価されることを、田中は具体に参加していた当時から強く望んでいたが、1965年の具体退会後35年以上経った晩年になって、そして2005年の没後になってようやくそれが現実のものになったのである。

それまで田中と言えばもっぱら、200個近くの電球が不規則に点滅する衣服状の通称《電気服》と結びつけて語られるのが常であったが、それはほとんどの場合、1950年代に奇想天外な作品を次々と発表した前衛美術グループ・具体を代表する一作例として挙げられるに留まっていた。また《電気服》以後は45年以上にわたって弛まず制作し続けたにもかかわらず、それらについても、電球とコードのつながりに基づいている点のみが概説的に述べられる程度であった。2001年の芦屋市立美術博物館と静岡県立美術館での初回顧展「田中敦子 未知の美の探求1954―2000」を機に、そうした状況に風穴が開き、先に挙げた欧米各地での回顧展や国際現代美術展を経て、2012年には東京都現代美術館での回顧展開催へ至ったというのが最近の経緯である。筆者は2001年の初回顧展を担当して以降、幸運にもこれらいずれの展覧会にも企画や協力など様々な形で携わる機会を得たが、それらの経験を通して具体という一つのグループに対する見方を、より多面的で細やかなものに更新していく必要性を改めて痛感した。

具体についてはペインタリーなスタイルを主流と考えるのが通例であり、激しい身振りを思い起こさせる筆致や、絵具の生々しい物質感の強調が特徴とされてきた。実際に嶋本昭三、白髪一雄、村上三郎、元永定正など主要メンバーの作品はそれに合致する場合が多い。一方田中の平面作品は、視覚的にはそれに当てはまらず、むしろ対照的な点が目立つ。円とそれをつなぐ線による明確な形態、一気呵成ではなく入念な検討を経て決定される構図、偶然の要素をできるだけ排除し、あくまで平滑で丹念な絵具の塗布など、いずれの特徴もペインタリーなスタイルとは相容れない。その異質性についてはこれまで複数の評論家が指摘しており、その最も早い例は、田中がまだ具体に在籍していた1965年春にまで遡る。

しかしながら田中の作品を丁寧に考察すると、そこにはやはり、具体を論評する際には不可欠な要素である「身体」と「物質」への、田中ならではの独創的なアプローチが見出せるのもまた事実である。田中の作品では「身体」は、運動の痕跡によって表されるのでなく、例えば《電気服》に代表されるように、その可視的な表面の絶え間ない変化、あるいは《電気服》以後の平面作品に顕著に見られるとおり、皮膚感覚に訴える艶やかな表面によって象徴的に浮彫りにされている。そして田中が一貫して用いた合成樹脂エナメル塗料は、こうした身体への関心を具現するために田中が選び取った「物質」であり、その特性と田中の資質との結合が一連の作品に他ならない。

このように田中作品の見直しは、「身体」と「物質」をめぐる具体の思索と実践の重層的な多様性を解明することにつながるだろう。同時にそれは、他の具体作家についても常套句で一括りに扱うのではなく、彼らの間の細かな差異に目を向けることの必要性を迫る。グループ内の共通点ばかりでなく個々の間にある差異の豊富さの把握こそが、今後具体の解釈を更新し、さらには各人を一人の作家として評価するための第一歩になると考える。

(月刊ギャラリー8月号2014年に掲載)

“具体美術協会”の詳しい紹介はこちら »

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