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猪熊克芳のブルーから「青」に思いを馳せる|古代から続く「青」をめぐる歴史の果てに
2026.08.21
FEATURE
猪熊克芳の描く、目の醒めるような青。「イノクマ・ブルー」と称されるそのウルトラマリンブルーには、この色に至るまでに複雑な工程と、たゆまぬ試行錯誤が存在する。
しかし、翻って美術の歴史を振り返ってみれば、青はかつて絵画の世界において極めて希少で、手に入れることすら困難な色だった。
なぜ人々はこれほど青に惹かれ、どのように絵画に取り入れてきたのか。その歴史を知った上で猪熊の作品を見ると、また違った面白さが見えてくる。
青は自然界でも希少
「青」と聞くと、空や海の色を思い浮かべがちだ。しかし、自然界において「青い物質」そのものは実はとても少ない。空の青さは大気中で光が散乱しているからであり、海の青さも光の反射によるものだ。どちらも本当は透明で、青い色素を持っているわけではない。
また、絵画の歴史でも青の登場は遅い。数万年前に描かれたとされるアルタミラやラスコーなどの壁画でも、使われているのは土や炭から取れる赤、黄、黒、白ばかりで、そこに青色はほとんど見られなかった。
古代エジプトで生まれた「最古の人工顔料」
青い顔料が歴史上に登場するのは、紀元前1500年前後(約3500年前)の古代エジプトの時代である。エジプトにおいて青は、天空や水、そして恵みの源であるナイル川の象徴であり、生命の色として尊ばれた。
当時、王の墓の蓋や壁画などを鮮やかに彩るため、銅を含む鉱物(孔雀石/マラカイトなど)に石英や石灰を混ぜて高温で焼き上げる技法が開発された。こうして作られた「エジプシャンブルー」が、人類史上に登場した最初の人工顔料だった。

現代の青い絵の具。猪熊克芳のアトリエにて(2023年撮影)
金と同等とされた天然の青
一方で、天然顔料で作られた青は、原料の希少さや精製工程の難しさから、手に入れることが困難であった。中でも天然石であるラピスラズリから作られる顔料は、最高級品として金とほぼ同等の値段で取引されていた。
というのも、ラピスラズリの主な採掘地は中東のアフガニスタンの山岳地帯であり、ヨーロッパから見ればはるか遠方の地であったからだ。鉱石はシルクロードを辿り、地中海を越えてヨーロッパへと運ばれてきた。そのため、この鮮やかな青はイタリア語で「海を越えてやってきたもの」を意味する「ウルトラマリン(Ultramarine)」と呼ばれるようになったのである。
ラピスラズリはそもそも宝石として貴重である上に、その加工の難しさもあった。鉱石の中ではラピスラズリは脆く砕けやすいが、細かく砕きすぎると灰色のくすんだ粉末になってしまう。その上、油で練ると色味が失われてしまうため、青い成分だけを取り出す精製加工には非常に高い技術が必要とされたのだ。
原石が海を越えて運ばれる希少性と、精製において高度な技術力が必要が相まって、ウルトラマリンブルーは極めて高価であり、高貴さと権力の象徴となっていった。そのため中世ヨーロッパにおいて、この青は聖母マリアの衣など、特別なモチーフにしか使えない特別な絵の具であったのである。
聖母の色から市井の人々へ:フェルメールが変えたウルトラマリン

ヨハネス・フェルメール《牛乳を注ぐ女》1660年、45.5 × 41.0 cm、カンヴァス・油彩、アムステルダム国立美術館蔵(クリエイティブ・コモンズ)
このウルトラマリンブルーに魅せられた画家の1人が、17世紀オランダの画家、ヨハネス・フェルメールである。裕福な家族の財力やや家業の収入、パトロンの援助などから、彼はウルトラマリンブルーを多用することが出来た。また、それまで聖母マリアの衣など高貴な対象に用いられていたウルトラマリンブルーを、市井の人々の服に取り入れたり、下地として使用するなど、これまでの常識とは異なる使い方をした。フェルメールは光を描き出す画家としても知られているが、その光を表すための色彩として青や黄色を用いたのである。
2026年の夏、大阪・中之島美術館でフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』を見ることができるが、そこでも青色のターバンが印象的に用いられている。
生活にありながら絵に留まらなかった「植物の青」
一方、日本で身近だった青は、植物から採れる「藍(あい)」だった。
着物の藍染などで親しまれていたが、植物性の青は光で色あせやすく、水に流れやすい。和紙や絹に絵の具として定着させるのはかなり難しかった。また、岩群青(アズライト)という鉱物を砕いた「群青」という岩絵具もあったが、高価で粒子が粗いため、庶民向けの版画(浮世絵)には向かなかった。
この状況を変えたのが、江戸時代後半に輸入された人工顔料「ベロ藍(プルシアンブルー。呼び名はベルリン藍から省略された)」だ。安価で粒子が細かいベロ藍の登場によって、北斎らは浮世絵で鮮やかな空や海のグラデーションを描けるようになった。
自由に使えるようになった青
19世紀になると、化学の発達で安価な青い絵の具が作られるようになった。チューブ入りで持ち運べるようになると、青は誰でも使える身近な色になった。
青が自由に使われるようになると、使い道も広がっていく。印象派の画家たちは風景の光や空気感を表現するために青を使い、ピカソは「青の時代」と呼ばれる若き日の孤独や哀しみを表現するために画面を青で満たした。青は、画家の心情やテーマを表現するための色になっていったのだ。

猪熊克芳作品展示風景(前期)
現代アート、そして猪熊克芳の「青」へ
現代では、小学生の頃から図工の授業で当たり前のように青い絵の具を使うことができる。描くにあたって、青はもちろん、他の色も身近で自由な色になった。だからこそ現代のアーティスト達は、使う色彩に自分の思いや表現したいテーマを、より明確に反映できるようになったと言える。
現在開催中の展覧会で並ぶ猪熊克芳の作品も、まさにそんな青の魅力を強く感じさせる。
「イノクマ・ブルー」と呼ばれるその鮮やかなウルトラマリンブルー。この青は、いくつかの工程を経て生まれる色だ。下地には「ルミナスピンク」というピンク色の絵の具を塗り、その上から青い絵の具を何層にも塗り重ねていく。絵の具にはコーヒーパウダーが混ぜ込まれており、そうすることによって独特のマチエールがより際立つのだ。更に、塗り重ねた後に削ることで、均一な表情が生み出されていく。計算された工程があるからこそ、あの深く引き込まれるような表情が生まれている。

猪熊克芳のアトリエにて、製作中の風景。まだ下地のピンク色が見える(2023年撮影)
昔の人々が青という色を追い求め、絵の具として定着させるために試行錯誤してきた歴史。その延長線上に、いま目の前にある猪熊の青が存在していると思うと、作品を鑑賞するのが一層面白くなる。
猪熊克芳の描く、目の醒めるような青。「イノクマ・ブルー」と称されるそのウルトラマリンブルーには、この色に至るまでに複雑な工程と、たゆまぬ試行錯誤が存在する。
しかし、翻って美術の歴史を振り返ってみれば、青はかつて絵画の世界において極めて希少で、手に入れることすら困難な色だった。
なぜ人々はこれほど青に惹かれ、どのように絵画に取り入れてきたのか。その歴史を知った上で猪熊の作品を見ると、また違った面白さが見えてくる。
青は自然界でも希少
「青」と聞くと、空や海の色を思い浮かべがちだ。しかし、自然界において「青い物質」そのものは実はとても少ない。空の青さは大気中で光が散乱しているからであり、海の青さも光の反射によるものだ。どちらも本当は透明で、青い色素を持っているわけではない。
また、絵画の歴史でも青の登場は遅い。数万年前に描かれたとされるアルタミラやラスコーなどの壁画でも、使われているのは土や炭から取れる赤、黄、黒、白ばかりで、そこに青色はほとんど見られなかった。
古代エジプトで生まれた「最古の人工顔料」
青い顔料が歴史上に登場するのは、紀元前1500年前後(約3500年前)の古代エジプトの時代である。エジプトにおいて青は、天空や水、そして恵みの源であるナイル川の象徴であり、生命の色として尊ばれた。
当時、王の墓の蓋や壁画などを鮮やかに彩るため、銅を含む鉱物(孔雀石/マラカイトなど)に石英や石灰を混ぜて高温で焼き上げる技法が開発された。こうして作られた「エジプシャンブルー」が、人類史上に登場した最初の人工顔料だった。

現代の青い絵の具。猪熊克芳のアトリエにて(2023年撮影)
金と同等とされた天然の青
一方で、天然顔料で作られた青は、原料の希少さや精製工程の難しさから、手に入れることが困難であった。中でも天然石であるラピスラズリから作られる顔料は、最高級品として金とほぼ同等の値段で取引されていた。
というのも、ラピスラズリの主な採掘地は中東のアフガニスタンの山岳地帯であり、ヨーロッパから見ればはるか遠方の地であったからだ。鉱石はシルクロードを辿り、地中海を越えてヨーロッパへと運ばれてきた。そのため、この鮮やかな青はイタリア語で「海を越えてやってきたもの」を意味する「ウルトラマリン(Ultramarine)」と呼ばれるようになったのである。
ラピスラズリはそもそも宝石として貴重である上に、その加工の難しさもあった。鉱石の中ではラピスラズリは脆く砕けやすいが、細かく砕きすぎると灰色のくすんだ粉末になってしまう。その上、油で練ると色味が失われてしまうため、青い成分だけを取り出す精製加工には非常に高い技術が必要とされたのだ。
原石が海を越えて運ばれる希少性と、精製において高度な技術力が必要が相まって、ウルトラマリンブルーは極めて高価であり、高貴さと権力の象徴となっていった。そのため中世ヨーロッパにおいて、この青は聖母マリアの衣など、特別なモチーフにしか使えない特別な絵の具であったのである。
聖母の色から市井の人々へ:フェルメールが変えたウルトラマリン

ヨハネス・フェルメール《牛乳を注ぐ女》1660年、45.5 × 41.0 cm、カンヴァス・油彩、アムステルダム国立美術館蔵(クリエイティブ・コモンズ)
このウルトラマリンブルーに魅せられた画家の1人が、17世紀オランダの画家、ヨハネス・フェルメールである。裕福な家族の財力やや家業の収入、パトロンの援助などから、彼はウルトラマリンブルーを多用することが出来た。また、それまで聖母マリアの衣など高貴な対象に用いられていたウルトラマリンブルーを、市井の人々の服に取り入れたり、下地として使用するなど、これまでの常識とは異なる使い方をした。フェルメールは光を描き出す画家としても知られているが、その光を表すための色彩として青や黄色を用いたのである。
2026年の夏、大阪・中之島美術館でフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』を見ることができるが、そこでも青色のターバンが印象的に用いられている。
生活にありながら絵に留まらなかった「植物の青」
一方、日本で身近だった青は、植物から採れる「藍(あい)」だった。
着物の藍染などで親しまれていたが、植物性の青は光で色あせやすく、水に流れやすい。和紙や絹に絵の具として定着させるのはかなり難しかった。また、岩群青(アズライト)という鉱物を砕いた「群青」という岩絵具もあったが、高価で粒子が粗いため、庶民向けの版画(浮世絵)には向かなかった。
この状況を変えたのが、江戸時代後半に輸入された人工顔料「ベロ藍(プルシアンブルー。呼び名はベルリン藍から省略された)」だ。安価で粒子が細かいベロ藍の登場によって、北斎らは浮世絵で鮮やかな空や海のグラデーションを描けるようになった。
自由に使えるようになった青
19世紀になると、化学の発達で安価な青い絵の具が作られるようになった。チューブ入りで持ち運べるようになると、青は誰でも使える身近な色になった。
青が自由に使われるようになると、使い道も広がっていく。印象派の画家たちは風景の光や空気感を表現するために青を使い、ピカソは「青の時代」と呼ばれる若き日の孤独や哀しみを表現するために画面を青で満たした。青は、画家の心情やテーマを表現するための色になっていったのだ。

猪熊克芳作品展示風景(前期)
現代アート、そして猪熊克芳の「青」へ
現代では、小学生の頃から図工の授業で当たり前のように青い絵の具を使うことができる。描くにあたって、青はもちろん、他の色も身近で自由な色になった。だからこそ現代のアーティスト達は、使う色彩に自分の思いや表現したいテーマを、より明確に反映できるようになったと言える。
現在開催中の展覧会で並ぶ猪熊克芳の作品も、まさにそんな青の魅力を強く感じさせる。
「イノクマ・ブルー」と呼ばれるその鮮やかなウルトラマリンブルー。この青は、いくつかの工程を経て生まれる色だ。下地には「ルミナスピンク」というピンク色の絵の具を塗り、その上から青い絵の具を何層にも塗り重ねていく。絵の具にはコーヒーパウダーが混ぜ込まれており、そうすることによって独特のマチエールがより際立つのだ。更に、塗り重ねた後に削ることで、均一な表情が生み出されていく。計算された工程があるからこそ、あの深く引き込まれるような表情が生まれている。

猪熊克芳のアトリエにて、製作中の風景。まだ下地のピンク色が見える(2023年撮影)
昔の人々が青という色を追い求め、絵の具として定着させるために試行錯誤してきた歴史。その延長線上に、いま目の前にある猪熊の青が存在していると思うと、作品を鑑賞するのが一層面白くなる。
▼ 生前、猪熊克芳氏が語った「青」への想いと制作の舞台裏(2023年取材)
新たな展望を見せる「イノクマ・ブルー」|猪熊克芳『推移-Transition』