JY

逍遙遊

2022.05.10

INTRODUCTION

「極端に物理を追求すれば、高い精神性に到達する」という氏の言葉のように、彼自身の思いを「豹」に託した本個展の作品は、現代社会或いは現代美術に対する一種の逆襲でもある。現実とバーチャルとが交錯する空間の中で自由自在に旅する彼は、文明とは何か、野性とは何か、「豹」の眼で人間の本質を見つめようとしている。

JY

野生の眼でみれば、何かを気が付く。

美しさと危険の匂い、官能的または気品の高い豹の存在。強烈の両極端の性格を静かに一身に宿す豹の野性魅力に惹かれる。何がいいかよりは全てがいいと思う。

莊子の「逍遙遊(ショウヨウユウ)」は「鵬鯤(ホウコン)」の神話から始まり、とんでもない雄大な宇宙観が驚くほど展開している。「逍遙遊」には、怪魚の「鯤(コン)」と怪鳥の「鵬(ホウ)」のような幻獣もあれば、平凡な蜩(ヒグラシ)や小鳩もある。荘子の斉物論(さいぶつろん)の観点から見れば、豹が出てきでもおかしくないだろう。「君子豹変」とか、古くからなかなかいい題材になっているではないか。

描くのは人間の本能であり、本能は神の意思である。

だが、特に豹にこだわるのではなく、むしろこだわりたくないから豹を描いているのかもしれない。そもそも、ありのまま無限の宇宙の中で心が遊ぶことはアーティストの夢であるから。感じたものや表現したいものを素直に描いていけばいいと思うが、現実にはもっと工夫したくなる。一工夫すれば、面白くなるが、もっともっと工夫した結果、何も工夫しないほうが一番いいと気が付く。 莊子の「逍遙遊」のように、宇宙の運行に素直に従い、自然の一部分としての自分と大自然の造化が一体となり、こだわりや障害物のようなものがなく、余裕と楽しみ、精神の自由と幸福を味わえるのである。

豹に学び、豹になり、豹と共に想像しきれない世界を自由自在に旅しよう。豹を描くことは、精神の自由かつ神秘的な体験である。

やはり豹でいいなと思う。

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