桑山忠明 & 内藤楽子:In Silence: An Ode to Nothing

HK H Queen’s 8/F

2024.01.27 - 03.16

ホワイトストーン・ギャラリー香港は、昨年夏に惜しまれつつこの世を去ったアーティスト桑山忠明と、その妻でアーティストの内藤楽子による二人展を開催いたします。1960年代から現在に至るまで、珠玉の作品セレクションを展示する本展は、桑山の連続的な芸術形態と、内藤のニュートラルな素材への探求との視覚的な対話を開くものである。1958年、ニューヨークに拠点を移した桑山と内藤は、初期の日本画修行や抽象表現主義の流行を排した作品を制作し独自のスタイルを確立。桑山と内藤は、異なる創作の道を歩みながらも微妙なつながりがあり、それは伝統的な美学の枠組みを否定し、「無」の状態にこだわる姿勢である。

何世紀もの間、私たちの現実世界に対する認識は、条件づけられた思考のプリズムに飲み込まれ、感情的な存在である私たちにとって「無」の追求をつかみどころのないものにしてきた。しかし、桑山と内藤は、空間、構図、物語性、個性を意図的に削ぎ落とし、「無」の本質を深く掘り下げ、ニヒリズムの本質を追求してきた。桑山が目指したのは「純粋芸術」と呼ばれるもので、作品には思想、思考、哲学、合理性、意味、そして人間性さえもないことを象徴している。

桑山の作品の中で最も高く評価されているのはモノクロームの絵画であり、内藤は硬質で質感のある彫刻作品を発表した。1961年、桑山は名門グリーン・ギャラリーで初個展を開催。内藤も1965年にマディソン・ストリートのワールド・ハウス・ギャラリーで初の個展を開催しており、両者の才能はすでにアメリカで頭角を現していた。

本展では、桑山の1960年代のモノクローム作品、《TK6671-1/2-'68》と《TK6371-1/2-'68》を紹介する。 遠くから見ると、絵画は神秘的な感覚を醸し出しているが、近づくと、鑑賞者は作品と室内の光との相互作用や、日本の岩絵の具を混ぜたアクリル絵の具の光沢、層、変化を感じる。

1970年代、桑山の芸術的方法論は工業的要素に囲まれており、彼の作品はしばしば直線的な形態で提示される。この時点で、作品は人間の物語の痕跡からさらに遠ざかっている。2012年の作品《TK17-7/8-12》は、複数のチタンキューブが壁面に整然と並べられてひとつのユニットを形成し、緑とピンクのイルミネーションのパレットで彩られている。 まるで無限大に向かう吊り橋のように、見る者を魅了し、作品全体が静謐な雰囲気に包まれている。

ニューヨークに移ってからの数年間、内藤の画風は日本画を踏襲したものだったが、 1960年代半ばにはミニマル・アートとオプティカル・アートへと急速に移行していった。また、紙、木、コットンボールなどのニュートラルな素材を幾何学的にフレームの中に配置し、転がしたり折り曲げたりする技法を用いた作品でも知られている。 70年代には「花」をテーマにした大作を発表するようになる。 また、紙、木、コットンボールなどの自然素材を、丸めたり、折ったりといった手仕事の技法で表現し、時にはお香を焚いたりもする。《RN936-3-1/2-16》には、作家のフラワー・シリーズのヒントが見られる。 和紙が素材固有の色彩を保ちながら繰り返し配置されている。これらの硬質な幾何学的ペインティングは、内藤の作品における強さと弱さの間のニュアンスの傾向を浮き彫りにすると同時に、日本美術に関連する絵画的平面性への挑戦という彼女の願望を現している。

日本美術は平面的なので、平面性への挑戦が私の関心事でした。

内藤楽子

桑山と内藤の芸術の旅は、色彩、形態、構図の純粋性を体現し、美的慣習に抗いながら、揺るぎない「無」の追求を目指すと同時に、固有の精神的体験をもたらす。

桑山忠明 & 内藤楽子:In Silence: An Ode to Nothing
2024.01.27 - 03.16

香港 / H Queen’s

7-8/F, H Queen’s, 80 Queen’s Road Central,Hong Kong
Tel: +852 2523 8001
Fax: +852 2523 8005
Opening Hours: 11:00 - 19:00
Closed: 日曜、月曜
More Info

Opening Reception

4 - 7pm, 27 January 2024 (Satuarday)
Guided tour with Art Critic Cusson Cheng:
5pm, 27 January 2024 (Satuarday)

ABOUT

1958年に渡米。ニューヨークを拠点に一貫してミニマリスティックな作品作りを続け、戦後日本の前衛画壇とは袂を分かちアメリカを代表する作家として活躍。初期は日本画の顔料や和紙を用いながらも日本画とはかけ離れた作品を制作していたが、やがて人工的な色や形を意識した表現に移行していく。筆触を残さない平坦なモノクロームの色面を機械的に配列させたり、エア・ブラシを使用してメタリックな色彩をペイントすることによって、絵画的な表現を極限まで排除する。塗料や素材そのものの物質性に重点を置き、人工的な物質でありながら人工性を超越した“絵画”を生み出した。

ABOUT

内藤楽子は、東京芸術大学を卒業後、1958年に桑山忠明とともにニューヨークに渡った。以来、ニューヨークを拠点に芸術活動を展開している。内藤は、オプティカル・アートやミニマル・アートなど、1960年代に隆盛した重要な芸術運動を隅々まで経験している。欧米では、その精神を現代に生かしている数少ないアーティストの一人として認識されている。

お困りのことはございませんか?
作家・作品をより詳しく知りたい方はこちら

MAIL MAGAZINE

メールマガジンへご登録の方には、オンラインエキシビションの告知など会員限定の情報をお届けします。