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墨と和紙で、突き抜ける己の魂:藤原志保インタビュー

2026.03.31
INTERVIEW

兵庫県丹波篠山市出身の藤原志保は、水墨画の師のもとで基礎を学びながら、ほどなくして独自の実験的手法へと踏み出した。和紙を墨に浸し、乾燥の途中で生じる自然現象を作品にしている。

ニューヨーク、パリ、そして国内各地の画廊で個展を重ね、美術館にも作品が所蔵されている藤原志保。改めて今日に至るまでの足跡を、彼女の言葉から辿っていく。

出発点──書道、そして水墨画との出会い

作家のアトリエ

作家のアトリエ

─ 幼少期から芸術に興味を持たれていたと聞いています。最初に芸術に触れたきっかけを教えてください。

藤原:祖父が日本画家(藤原二鶴)だったので、その影響でしょうか。また、小学一年生からお習字を学んでいました。その当時、画家になるというより、人間の教養としての道を両親が導いてくれたように思います。

大人になってから神戸に出ていったときに、松本奉山という水墨画家の水墨画に出会いました。とても美しい墨色だったので、ぜひとも入門して学びたいと思って手紙を書きましたら、入門の許可が出たんです。そこで神戸で二十六歳から本格的に水墨画塾に通い始めました。

入門して六か月ぐらいの頃、「藤原さん、個展をしなさい」と突然言われて「え、まだ入門したばかりなのに……」。周囲にいるほかの弟子たちが一瞬黙って、緊張感がピーッと走ったのを覚えています。

─ 通常はどれくらいで個展を開くものなのでしょうか。

藤原:人によると思いますが、学び始めた頃は、本格的に画家としてというような気持ちもまだないまま、美しい墨色への憧れだけを持っていました。初めて個展を開く時に、会場をキープすることや、マスコミや関係者へのご挨拶の仕方とか、いろんな細かいところまで師匠が教えてくださいました。初個展は郷里でしたほうがいいと、丹波篠山市の公民館のようなところでした。稚筆ながら師匠にご指導いただきました。

画家と看護師の両立:画廊を自ら歩いて開拓した日々

制作の様子

制作の様子

─それからの芸術の道のりは順調だったのでしょうか?

藤原:祖父から「画家としてやっていくなら、生活の為に人に媚びた絵を描きたくなければ、仕事を持て」というのが遺言だったのです。それで、自分を高めてくれるような仕事を、と思って看護師になりました。神戸市立高等看護学院(現:神戸市看護大学)を卒業し、十年ほど神戸市立中央市民病院に勤務しながらアートに取り組みました。

その後、あるドクターが開業なさるので、ぜひとも来てほしいと言われて、「実はアートのことをやりたい、それをさせていただけるなら行きます」と返事をしました。そうしたらそのドクターが、持ち家に空き家があるから、そこをアトリエとして使いなさいと申し出ていただいたので、そのクリニックに二十五年間勤務しました。

団体に属せず、そこから毎年個展を開催し、その間にもニューヨークで二回個展、そののち、ヨーロッパ、フランスのノール県庁ホール、セーヌ・エ・マルヌ県庁ホールで、兵庫県との国際交流友好関係の下に展示させていただきました。兵庫県パリ事務所にお世話になりました。

作家のアトリエにて

作家のアトリエにて

─ 神戸以外での活動はどのように広げていったのでしょうか。

藤原:ある方に紹介していただいたサヱグサ画廊さんで、東京での初個展を開催しました。最初に作品を持っていったときは具象の作品でしたが、一年後、実際に展示した作品はすべて抽象でした。でも画廊の方は何もおっしゃらずに抽象作品を展示してくださいました。

その後、山口勝弘先生に「画廊は歩いて自分で探さなきゃだめだよ」と言われて、神戸から東京に向かい、駅でハイヒールをロッカーに放り込んでスニーカーに履き替え、絵を抱えて銀座をずーっと回ったのです。やはり自分がいいと思う作品が展示されているところでないと嫌だったので。そこで鎌倉画廊さんに出会いました。オーナーが興味を示してくださいましたが、予定が2年先まで埋まっていると。それで結構でございますと返事をして、実際に2年後に個展を開催くださり、その後も3回企画してくださいました。

─ ニューヨークでの個展についても教えてください。

藤原:当時ニューヨークにおられた川島猛先生に、一度神戸でお会いしたことがあったので、E-メールをお送りしました。すると10か所ほど画廊を紹介してくださったのです。個展をしたくて資料をお送りしたら、3か所から返事があって、結局その中から2か所、チェルシーにあるセーラームギャラリーとウォルター・ヴィクサーギャラリーで個展を開催してくださいました。その画廊オーナーに「作品の質が高い」と言われた時、自信が深まりました。「私は墨と和紙の現代アートを一生かけてやっていこう」という決意を新たにしました。

転機──暗雲との出会いと抽象への道

作品を広げて見せてくれる藤原志保

作品を広げて見せてくれる藤原志保

─ 水墨画から現代アートの抽象表現へと転換期があったと聞いています。どのような体験だったのでしょうか。

藤原:あるとき山口県の秋吉台にスケッチ旅行に行ったとき、台風に遭遇しました。地平線一面に暗雲がみるみるダーッと垂れ込めてきたんですね。それをホテルの窓から見たとき、「私が描きたいのはこれだ!」と思ったのです。当時神戸にあったアトリエに急いで帰って、一気に画仙紙に描いたら、勢い余って紙が破れました。

その時「あ、この破れ、これおもしろい」と思ったのです。失敗だとは思わなかったんですよ。そこから和紙と墨との間で生じる現象そのものに興味を持ち、追究するようになりました。

─ 具象の景色を見て「これが描きたい」と思ったところから、さらに抽象へと進んでいったのは、どういう心の動きだったのでしょうか。

藤原:アートの表現というのは、私の場合、具象的なものというよりも、自分の生き様、生きている力、魂、そういったものを表現するものだと思っています。私は1944年兵庫県西宮市、甲子園球場の近くで生まれ、すぐに第二次世界大戦、焼夷弾で火の海の中、母が命を懸けて私を守ってくれました。また、30年前の阪神淡路大地震時、神戸市灘区のアトリエが全壊、新神戸近くのマンションも住める状態でなく途方にくれている時、「命があればなんとかなる!」というのは、今は亡き母の言葉でした。こういったことが作品に反映されています。

また、ナースという仕事柄、たくさんの患者さんの人間の生、死と対峙する仕事を通して、私の生きる力や、魂の表現になっていったと思います。きれいなものにはあまり興味がなかった。どろどろとしたものの中に真実があるのではないだろうかと想っていました。その暗雲を見たとき、これだ!と。

─ 藤原先生はご自身や作品をどのように位置づけていますか。

藤原:あまりそういうことに注視しておりません。あまりそういうことを意識しないで、自然体でやっていっています。この作品が私であり、私がその作品。

以前、木村重信先生に「藤原さんの作品は工芸でも、墨に浸けるから染色でも、平面とか立体とかそういう区分けじゃない。独特の螺旋状に突き抜けた、独特の世界のアーティストだ」と言ってくださったことがあります。位置づけと言われたら、墨と和紙を素材にした現代アートの作家かなと思っています。

和紙と墨との対話

作家のアトリエ

作家のアトリエ

─ 作品の制作プロセスについて具体的に教えてください。

藤原:和紙を折りたたんで墨に浸け、そのまま乾かしていると、外側から乾いていきます。そうすると、中の染み込んでいる墨の粒子が外へ移動するんですよ。展開してみると、乾燥した部位に墨の粒子が移動し最後に乾いた部分は粒子が少ない現象が生じます。乾燥後に元の平面に展開すると墨のトーンによる表現を生み出すことができ、裏打ちをして作品にしています。

─ 制作において最も重視していることは何ですか。

藤原:素材は日本の和紙を使っています。昔から画仙紙を使っていましたが、高知県の土佐楮の厚みのある和紙を使っていた事もあります。紙漉き職人さんの後継者がいなくなり、今はもう手に入りませんが。最近は阿波和紙、徳島県の水墨画用の竹入り和紙を好んで使っております。

紙には表と裏があります。通常は表に描くものですが、表から描いて裏に突き抜けた方が、私らしいという感覚になることがあります。自分はこう描きたいと思って描いた表面よりも、「私だ、私の表現だ」となるんです。自分自身でも驚きますが、何点か裏を表としてお見せしている作品があります。それはやはり和紙を通じて、藤原志保という魂が突き抜けて表現できているんじゃないか、アートとはそういうところに面白さがあるんじゃないかと思っております。

墨は奈良墨と中国墨を用いております。

作品に込められた思いと具現化するための技法

藤原志保《Line 25-1》2025、72.5 × 50.5 × 2.5cm、阿波和紙・中国墨

藤原志保《Line 25-1》2025、72.5 × 50.5 × 2.5cm、阿波和紙・中国墨

─ 今回の展示のメインビジュアル「Line-25」について聞かせてください。

藤原:技法としては折りたたんで墨につけて乾かしています。放射状になっているのは自然に出来ました。乾いて出来上がったとき、何か一本筋の通ったものがほしいと思い、最後に真ん中で刷毛でぐっと描いたわけです。乾かした後にさらに手を加えることが多いですね。自然のままでもいいと思った時はそのままですが。

─ 「折りの展開」シリーズについて教えてください。

藤原:折り線で構図を考えて、描いています。模様を描くというか、折って表現します。展開はそれを平面にしたときの折った線が出るので。折る前に展開図を想像して折りたたみます。

─ 最近の作品「十牛図 25-1」についてはいかがでしょうか?

藤原:一つは、昔体験した、地平線すれすれまで垂れ下がった暗雲のイメージです。それと、ある神戸の住職さんに「『十牛図』というのをご存知か」と言われたことがきっかけでした。

十牛図というのは、簡単に言うと、わらべが牛の背中に乗って、立派な牛がほしい、と言って旅していくうち、実際に手に入れたらもうそのことは忘れてしまっているという、人の禅の道、悟りに至るまでの10段階を10枚の図で説いたものです。それを学ばせていただいたとき、その御住職が「藤原さんの描き方で表現したらおもしろいやろうな」とおっしゃってくださいました。

それでこの絵を表現しました。十牛図の、一番最後の図を表したものです。上の黒っぽいところと下のグレーっぽいところの面積の比率で分割と墨のトーンで表現したのです。行き着くところまで行くと、お寺に引っ込んでいるのではなく、町の中へ、一般大衆と一緒になって生きていく境地に至るというのを、墨色で表現しました。

また、水墨画は滲みの世界ですが、滲みを排除した、まっすぐな線を引くように、墨色の異なる和紙作品をコラージュしています。キャンバスを合わせて表現されている桑山忠明作品からヒントを得ました。

クローズアップ

クローズアップ

自然体でやってきたと語る藤原志保。しかしその裏には、「どろどろとしたものの中に真実がある」という揺るぎない信念と、墨と和紙と格闘し続けてきた長い年月が刻まれており、それが突き抜けてきたものこそ、彼女の作品と言える。「紙を生きる」は、まさにその姿勢を言い表した言葉と言えるかもしれない。

藤原志保の個展「紙を生きるー藤原志保『線』の軌跡」は2026年4月10日から開催。近年の挑戦から立体作品まで、幅広く藤原の世界観を味わうことが出来る。

紙を生きる-藤原志保「線」の軌跡

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