ARTICLES
異なる文化のはざまで見つめるもの:綿引展子インタビュー
2025.07.09
INTERVIEW
Photo: Funada Kayo
綿引展子の作品世界は、自己の内省と他者との関わりを深く掘り下げる探求の旅路ともいえる。アーティストとしての歩みを振り返りつつ、現在拠点となるドイツでの経験が彼女の創作に与えた影響、そして現代社会におけるアートの役割についての思索を、自身の言葉で語ってもらう。
アーティストへの道:迷いと確信
ーアーティストを目指したきっかけを教えてください。
綿引:版画を学んだのですが、当時は先輩たちから「女はプロにはなれない」とよく言われていました。どうしたらいいのか分からなかったけれども、「どうしても続けられなくなるまでやってみよう」という気持ちでした。実際にアーティストとして本格的にやっていこうと思ったのは、28歳くらいの時です。それ以前は仕事をしていましたが、広告代理店の仕事などでは「これは本当に世の中に必要なことなのだろうか」と疑問を感じることもありました。
ー福祉施設で働かれていた経験もあると伺いました。
綿引:ええ。どうせ働くなら、誰かの助けになるような仕事の方がやりがいがあると思ったんです。日本盲人会連合(現在は「日本視覚障害者団体連合」)で働きました。そこでは、目の見えない方々が自分たちで団体を立ち上げ運営していて、ものすごいエネルギーやポジティブさに圧倒されました。「人っていいものだな」と感じた経験です。それまでは自分の好きなことを追求するという個人的な気持ちが強かったのですが、そこでは「今これが必要なんです!」という社会的な意味を考えるようになりました。ただ、仕事が忙しくて制作の時間が取れなかったのもあり、絵を描くことへの想いが強かったのと、最終的には制作の道を選びました。
新たな挑戦の地、ドイツへ
アトリエからの風景 Photo: Funada Kayo
ー2008年からドイツのハンブルグに拠点を移されています。なぜドイツだったのでしょうか。
綿引:文化庁の研修プログラムに申請する際、渡航先を自分で選べたんです。当時、知人がドイツにいて、行った時に良い印象を受けました。イタリアも候補でしたが、ビザの取得が難しかったんです。ドイツはアーティストビザが取れる可能性があり、友人の存在も心強かったですね。面接では、若い頃に見た展覧会で好きだった作家がドイツ人だったことや、第二次世界大戦後の復興プロセスが日本と似ている点、そうした国がどのような文化政策を行っているのかに興味があると話しました。
ー文化庁のプログラムは1年間だったそうですが、そのまま移住されたのですね。
綿引:はい。1年間は経済的な心配なく過ごせましたし、その後も日本での仕事はネット経由で続けられたので、もう少し滞在できるかなと。アーティストハウスに住むことで家賃も抑えられましたし、アーティストビザも取得できたので、そのままいることに決めました。
異文化との出会いが生んだコミュニケーションの探究
ードイツでの生活は、制作にどのような変化や影響を与えましたか?
綿引:最初は何もかもが新しく、何を見ても楽しかったです。人々の考え方も違うことがすぐに分かりました。似ている部分もあると思っていたのですが、実際に過ごしてみると、日本の文化とドイツの文化は全然違っていました。痛感しました。
日本ではある程度活動していたので、「こういう作家だ」という周囲からのイメージがありましたが、ドイツでは誰も私のことを知りません。一枚の絵を見せて、ゼロから始まるという感覚が楽しかったです。「私にもまだ未来がある、新しいことができる」と感じました。もちろん日本でもできると思っていましたが、より感じられたんです。
ー移民として生活することで、ご自身に対する見方は変わりましたか?
綿引:はい。見た目も言葉も明らかに外国人なので、「よそ者」としての扱いは日常的です。日本では感じることのない感覚ですね。些細なことでも言葉で説明しなければならず、抽象的な表現が通じにくい。日本語なら雰囲気で伝わることも、ドイツ語では具体的に、複数か単数か、男性か女性かまで明確にしないと伝わらない。このコミュニケーションの違いは大きいです。
ードイツでの経験から生まれたテーマや作品はありますか?
綿引:移民であるという実感から「家族の肖像」というシリーズを始めました。ドイツは多くの移民を受け入れていますが、文化が全く違うため、理解し合うのは大変です。そんな中で、異なる国同士のカップルが個人的な良い関係性を作っているのを見て、これが多様性を認め合う一つの答えではないかと感じました。そうしたカップルに古着を提供してもらい、それを切って縫い合わせて肖像画として一つの作品にするのです。古着をもらうのはなかなか難しいのですが、自分が移民として作品に関わっていく。これは今も続けているテーマです。
技法と表現の深化
作家のアトリエにて Photo: Funada Kayo
ー素材や技法にも変化はありましたか?
綿引:日本では和紙にオイルパステルで描いていましたが、ドイツでは良質な和紙が手に入りにくい。そこで、布のコラージュとなる作品を始め、その後アクリル絵の具でキャンバスに描くようになりました。ドイツはキャンバス文化なので、素材も手に入りやすい。筆を使うのは久しぶりで、最初はエクササイズのような感覚でしたが、だんだん楽しくなっていきました。オイルパステルはクレヨンのようなものなので、筆とは全く違います。
筆で描くことで、オイルパステルとは制作のテンポが変わりました。オイルパステルは思考と手の動きがシンクロしていたので、考えたものがそのまま手に伝わって出てきます。アクリルはまた違う。以前よりも、事前に「こういう風にしたい」など、より分かりやすく描きたいという気持ちが強くなったかもしれません。ドイツでの会話で、物事を説明するためにどうすれば良いか考える訓練も影響していると思います。
ー制作プロセスも異なりますか?
綿引:和紙にオイルパステルで描く時は、基本的にやり直しがききません。一瞬一瞬で決定していくような緊張感がありました。私はアクリルを、水彩のように描いているので、実はあまりやり直しがききません。布の場合は、手で縫っているので、ほどいてやり直しができます。以前では出来なかった、後から手を入れることが出来るようになりました。いつ終わるのかと思うくらいやり直すこともありますが、「もうこれで私の手を離れた」と感じる瞬間があります。もうこれ以上無理、という感覚に近いかもしれません。
ー作品には顔や植物のようなモチーフが登場しますが、これらはどのような意味合いを持っているのでしょうか。
綿引:抽象といっても様々ですが、例えばポロックのような完全な抽象は、自分にはできないと感じています。何かしら形のとっかかりがあるものを描く方が、自分の中で確信が持てる。顔や植物はよく描きます。植物を描く時は、人間と同じ生き物として捉えて、時々人間を描いているのと同じ感覚になります。現実にある植物ではなく、人が見て「植物だ」と分かるような形です。まるっきり抽象にしてしまうと、自分がどこか拠り所を失うような感覚になるのだと思います。
歴史と文化:ドイツと日本の狭間で
アトリエに佇む綿引展子 Photo: Funada Kayo
ードイツに来られてから、自己と他者の関係性についての考え方に変化はありましたか?
綿引:根幹は変わらないかもしれませんが、表現の仕方は変わったかもしれません。ドイツに来たのは50歳の時だったので、人生の半分以上を日本で過ごしています。それでも、暮らす場所が変わると影響を受けますね。より「社会の中の自分」を強く意識するようになりました。
また、海外で話す時、「綿引が言っている」というより「日本人が言っている」と捉えられることがあります。すると、望まれていなくても、どこか日本を代表して話しているような気持ちになることも。作品においても、日本の美術史の中で自分が何を継承し、何を大事にしているのかを考えるようになりました。例えば、作品の中で丸のような簡単な形を使うのは、日本人として引き継いできた簡略化の感覚かもしれません。
日本の人たちと連絡を取ると、社会の回転が速く、「当たり前」がどんどん変わっていくのを感じます。特に言葉の新陳代謝は速いですね。昔は平気で口にされていたような差別的な表現も、今は言わない方向になっています。その変化のスピードには驚かされます。
ードイツと日本の文化政策や歴史認識の違いについて、どのように感じていますか?
綿引:戦争後の社会に対する発信の仕方が全く違いますね。ドイツでは、過去の戦争について「間違いでした、謝ります。そして新しいドイツはこうします」ということを言葉で明確に教科書に記しています。日本では、戦後処理問題はかなり抽象的な形で扱われているように感じます。
また、ドイツでは政治や歴史の話をすることが非常に一般的で、意見が違っても問題ありません。日本では、特に第二次世界大戦のようなテーマを作品で扱うのは、社会全体であまり話されていないのもあり、難しい側面があるかもしれません。
不安定な社会におけるアートの役割
作家のアトリエ Photo: Funada Kayo
ー作品のタイトルはどのように付けていますか?
綿引:石原吉郎さんの言葉が美しく大好きで、特に彼が「告発しない」という姿勢を貫いたことに強く影響を受けました。以前はそこから拝借する形でタイトルを付けていました。そうすると、どんどん長くなってしまいました。
ドイツに来てからは、翻訳が難しいため、最初はタイトルを付けていませんでした。しかし、やはりタイトルがあった方が良いと助言されてつけています。日本語の美しいニュアンスをそのままドイツ語にするのは難しく、今はできるだけ短いタイトルにしています。
ー現代社会は不安定な状況が続いていますが、そのような中でアートが与えられる影響について、どのようにお考えですか?
綿引:東日本大震災の時に強く考えさせられました。当時、私はたまたま日本にいて、震災後すぐにドイツに戻ったのですが、喪失感で何も手につかなくなってしまいました。その時、何かせずにはいられず、メールアートのプロジェクト ”TEGAMI - Perspectives of Japanese artist” を企画しました。
長い人類の歴史の中で、美術のようなものがなかった時代はないと思います。壁画を描いたり、何かを飾ったり。それが美しいと感じたのか、願いのようなものだったのかは分かりませんが、常に存在し続けてきた。ということは、おそらく人間にとって100%必要なものなのではないかと。具体的に何ができるかは分からなくても、絶対にあるべきものだと確信しています。
以前、がん専門病棟で展覧会を企画している画廊から声をかけていただき、展示をしたことがあります。患者さんや医療関係者の方々にとって、少しでも心が安らぐ瞬間や、何かを感じるきっかけになればと思いました。人の心を支えるものだと信じています。
作家による作品への眼差し
これまで語られてきた言葉や背景の奥には、作家の視点で丁寧に描かれた作品たちが存在している。北京で開催される展覧会に向けて選ばれたそれらの作品には、綿引の記憶やまなざしが静かに息づいている。ここでは、綿引自身の言葉を通して、それぞれの作品に込められた想いや時間に触れていく。
綿引展子《薔薇 -「星の王子様」から》2023、40.0cm × 50.0cm、カンヴァス・アクリル
10歳くらいの頃、 サン=テグジュペリ『星の王子様』を読んだ。大人になってもずっとその世界観が心に残り、愛読書になった。小さい、ひとり用の惑星に住む住人たち、友人について話す狐……その中の美しく気位の高い薔薇を描いた。
綿引展子《Paradise-Ibasyo》2020、180.0cm × 150.0cm、カンヴァス・アクリル
Ibasyo は居場所のこと。子供の頃、森に一人で暮らすことを夢見ていた。いま移民として暮らす自分の居場所について考える。自分がいるべき場所について考えながら描いた。この単語を表すドイツ語はない。
綿引展子《Man and Plants》2023、120.0cm × 150.0cm、カンヴァス・アクリル
生き物として人と植物は同じようだと思う。植物を絵描く時、それは人に重なっている。この花の集まった円は人の顔に、流れる川は生命のつながりを考えている。
綿引展子の作品は、描く行為に留まらず、多岐に渡りながらもその中心にあるのは、他者との関わりや自己の内省である。異国の地で暮らすことで浮かび上がる「よそ者」としての感覚、文化の違いから生まれる対話への探究心、それらすべてが彼女の表現に静かに編み込まれている。