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鷲見康夫の実行力と表現力|一瞬のひらめきを活かした作品づくりとは

鷲見康夫

具体美術協会に関して発行された書籍『GUTAI STILL ALIVE 2015 vol.1』をデジタルアーカイブとしてお届けするシリーズ企画。第8回目は具体美術協会会員で「国際現代芸術A・U展」会員でもあった鷲見康夫をフューチャー。教師とアーティストという二面性を有していた鷲見の人生を、キュレーターであり美術評論家の加藤義夫が語る。


凡人では考えもつかない一瞬の「ひらめき」を具体的な方法で作品化させる鷲見康夫の実行力と表現力

加藤義夫
(キュレーター / 美術評論)
 


「やけくそ・ふまじめ・ちゃらんぽらん」を自らの生活信条として、また創作活動の指針にしてきた、元・具体美術協会会員で「国際現代芸術A・U展」会員の鷲見康夫は、1925年に大阪に生まれ旧制の関西大学専門部経済科や立命館大学経済学部を卒業し、中学・高校・大学で教員生活を送りながら、半世紀以上にわたり作品制作活動を継続した作家だ。

経済学部卒業の鷲見を美術に触れるきっかけを作ったのが、元・具体の嶋本昭三である。鷲見は1954年に大阪市立豊崎中学校の同僚であった嶋本の勧めで、兵庫県下の「第7回芦屋市展」に出品し、審査員の吉原治良と出会うこととなる。

1948年6月にはじまった公募の「芦屋市展」は、後の「具体」の礎になったと聞く。鷲見は、1955年に具体美術協会会員になり、第1回具体美術展(東京・小原会館)に参加し、以後全展覧会に連続出品している。

鷲見の人生哲学ともいえる「やけくそ・ふまじめ・ちゃらんぽらん」とは、「 やけくそというのは、自分自身の精神が完全に解放された状態であり、そして私自身が無限となり、私の才能自体も無限に現出するように思っている。ふまじめとは、過去を拒否することである。すなわち、過去から現在まで、もろもろの規約・規則が我々人間社会には存在する。そのすべてを拒否、または無視することであり、それこそ未来以外の何物でもない。またちゃらんぽらんこそ人間回帰であると私は考えている。(中略)そうして、このやけくそ・ふまじめ・ちゃらんぽらんこそ人間の真の姿であり、それを表現しようとして、自分だけの表現を模索していると思っている。」と。

「やけくそ・ふまじめ・ちゃらんぽらん」は、現代社会のあらゆるストレスから人を解放し、人間本来の力を甦らせるという、まるでルネサンスのごとき言葉だといえよう。自らの資質と経験や体験から生まれた鷲見の人生哲学は、半世紀以上に渡り、彼の前衛美術活動にいかされてきた。

「絶対に人のまねをするな」「これまでになかったものを作れ」という吉原治良の教えのもとに、阪神間の若い作家たちを集めて、1954年8月頃に兵庫県芦屋市に具体美術協会(具体)は誕生する。

リーダーの吉原と若者たちは、親子ほどの年齢差があり若い会員たちへの指導は、吉原の主観による感覚的かつ直感力によって判断され、「ええ」「あかん」だけがすべてであり、その他の説明はなかったと聞く。吉原は作品の発想と表現の独創性に絶対的な価値を見出だし「ええ」「あかん」という二極的な判断により作品を評価していたようだ。リーダーの吉原は、中学から独学で油絵を修得したように、具体会員の多くは美術学校に行かず独学で美術を学んだ。暗中模索による独学は、アカデミックな美術教育を受けるより、奇想天外な発想を生み出しやすかったかもしれない。独学により、オリジナリティを感じさせる固有の方法論も独自に開発していったともいえる。

鷲見の作品制作のスタイルは、ある意味ではシュールレアリスムの自動筆記という方法、いわゆるオートマティスムを応用しているといえるだろう。偶然性を装いつつ、完成された作品の良し悪しを判断し選択するのは、作家の意思が反映する。量産できる方法で、これという作品を選択する目を持っていた。それは作家本人でもあり、吉原の客観的な目でもある。これは「具体」の多くの作家が必然のように使ってきた制作スタイルだといえる。

具体のメンバーたちは、「これまでになかったものを作れ」という吉原の教えに、「これまでになかった」方法で制作することを創作の手がかりとしたのではないだろうか。そこで筆を使わずして、絵を描く方法を編み出す事となる。

白髪は天井からのロープにぶら下がり足で描き、嶋本はガラス瓶に絵の具を詰め床に投げつけることで、元永は筆を使わず絵の具をたらし込むことで、絵を描いた。

そこで鷲見は、そろばんを使った。教員生活をしていた鷲見は、毎日テスト問題や教材の裏面を利用して、毎日100枚ほど描いていた。ある日、インク瓶が倒れて、わら半紙の上にインクが流れでた。当惑した鷲見であったが、ひらめいた。そばにあったそろばんを使ってインクをかき回す。今まで見たことのない形が生まれた。そろばんの球を転がすことで、たちまち100枚楽々と描けたというのだ。

その頃のことを鷲見は、こう回想してみせる。『インクや墨汁を紙の上にこぼして、そろばんの玉をころがしながらかきまわすという、何も考えない動作は自然のパワーの表現か、または喜びの表現ともなった。

その作品を早速嶋本昭三さんに見てもらおうと、学校に持って行った。嶋本さんは「うまいことやったなぁ。これどうして描いた?どうしたらこんなもの出来るのか?」と聞く。私は「これは息をとめて描いた」と。すると嶋本さんは本気にして「へえー、お前体大丈夫か」と。「実はそろばんで描いた」といって、嶋本さんの目の前で、わら半紙の上に机上にあったインクを流し、いきなりそろばんでインクをかきまわし、不思議な線を一度に何本も描いて見せた。そうすると嶋本さんは「うーん」とうなって、「よいことをやったな」と大へんほめてくれた。私は嬉しくて仕方がなかった。』

このようにして、鷲見の絵画は生まれた。優れたアーティストは、失敗を成功に導き、また発見を発明に変換させてきたともいえる。凡人では考えもつかない一瞬の「ひらめき」を具体的な方法で作品化させる、実行力と表現力を持っている。

筆の代わりに使ったのは、「そろばん」だけでなく、番傘をビリビリに破き絵の具をつけ、両手に持ってキャンバスにたたきつけまた、防虫網の上に紙を貼付けバイブレーターをふるわせて描く。これらの作品には共通項が見出せる。重なり合い蛇行する複数の線描は、光を放ち支持体の外に拡散しているようにみえる。それらは観る者に行為の痕跡、すなわち時間と動き、そして喜びに満ちた光を感じさせるものだ。半世紀以上に渡る一貫した鷲見の制作スタイルは、「やけくそ・ふまじめ・ちゃらんぽらん」を描く喜びと楽しさに満ちあふれている。

(月刊ギャラリー7月号2013年に掲載)

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