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具体第2世代アーティスト・前川強の作品にみる日本固有の造形美
GUTAI STILL ALIVE 2015 vol.1
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前川強
具体美術協会に関して発行された書籍『GUTAI STILL ALIVE 2015 vol.1』をデジタルアーカイブとしてお届けするシリーズ企画。第11回目は具体美術協会の第2世代アーティストで、生涯にわたって「ドンゴロス」(麻袋)を制作に用いた前川強に着目する。支持体そのものの物質性を問う制作方法や、表現方法の転換、そして前川作品の魅力を、キュレーターであり美術評論家の加藤義夫が独自の見解を交えて語る。
具体第二世代のアーティスト・前川 強 支持体そのものの物質性を問う方法へ展開した表現
加藤義夫
(キュレーター/美術評論)
国際的に有名な戦後日本の前衛美術グループのひとつ具体美術協会(具体)は、吉原治良をリーダーとして兵庫県芦屋市に1954年に発足し、72年まで継続的に活動をした。しかし72年の吉原の死とともに、18年間の活動に終止符が打たれ、具体グループは解散。
会の名称は「我々の精神が自由であるという証を具体的に提示したい」という思いのあらわれである。吉原のもとに集まった阪神間の若者達は、「絶対に人のまねをするな」、「これまでになかったものを作れ」という吉原の教えを実践し、アクション・ペインティングやパフォーマンスを芸術表現とした。
半裸になって泥と格闘し、足で絵を描いた白髪一雄、たらし込みの手法で絵を描いた元永定正、紙破りのパフォーマンスで名をはせた村上三郎、大砲を使って絵を一瞬に描き、また絵の具を瓶に詰め投げつけて作品とした嶋本昭三、電気服を着用し舞台に立った田中敦子など、奇想天外な方法で具体の中心メンバーとなった彼彼女ら。グループ結成翌年には機関誌「具体」を継続的に発行し、兵庫県芦屋公園での「真夏にいどむモダンアート野外実験展」を開催。57年には大阪の産経会館と東京の産経ホールで「舞台を使用する具体美術」を企画。62年には、大阪中之島に吉原治良所蔵の古い土蔵を改装した「グタイピナコテカ」が開設され、「具体」の活動の拠点となり、メンバーの個展を矢継ぎ早に開催した。当初の結成会員は17名。この結成会員を第一世代とすると、60年代はじめに第二世代といわれる有力新人が数人、久しぶりに会員となった。
その中のひとりに前川強(1936年大阪生まれ)がいる。前川は55年に大阪市立工芸高等学校図案科を卒業し、59年に吉原治良に師事し、第8回具体展に参加、62年に具体美術協会会員となった。それ以後、具体の解散まで、すべての展覧会に出品している。
具体の第一世代の作品は、アンフォルメル絵画ともアクション・ペインティングとも言われ、抽象表現主義的な傾向が強いが、前川は絵画の物質性に着目し、行為や絵画の空間性を探求するよりも、支持体そのものの物質性を問う方法へと展開し作品を制作していった。60年代初頭の作品は、ドンゴロス(麻袋を作る目の粗い厚手の布)に油彩で着色。素材の持つ物質性そのものと色彩を作品の全面に打ち出すことで、質感や色を生かし、独自な表現を引き出すことに成功した。
素材のドンゴロスは、前川が採用する以前にも20世紀美術の巨匠たち、例えば、スペインのホアン・ミロやスイスのパウル・クレー、イタリアのアルベルト・ブッリらによって作品に登場する。特に、50年代のブッリの有名な作品「袋シリーズ」は、ドンゴロスという素材の持つ質感や感触を生のまま画面に貼付け、穴を空け、切り裂き、縫い合わせて、物質的絵画を創造している。
しかし、ブッリの手法とは異なる前川作品の持つ特徴とは、ドンゴロスの画面に地図の地形表現のひとつ等高線を彷彿させる有機的な凹凸のレリーフ状の形をボンドで加工し、油絵の具で着色し、素材の持つ物質性を生かしながら、絵画的な側面も持つ作品を創り出している点にある。凹凸のレリーフ状の優美な曲線の重なりと連続性は、大地や自然が持つ生命のリズムを感じさせると共に、蛇行する川の流れや植物の葉脈を鑑賞者に想起させる。この頃の作品、60年から63年制作のものが、国立国際美術館をはじめ、日本の国公立美術館に数多くコレクションされている。これらの作品が数多くコレクションされた理由としては、前川作品の独自性と共に、具体の最盛期作品という観点から収蔵されていったと考えられる。
具体解散後、前川の作品は変化の兆しをみせる。具体の頃の作品をさらに洗練させ、81年に「第15回現代日本美術展」で東京都美術館賞を、82年には「第4回ジャパンエンバ賞美術展」で国立国際美術館賞、同年に「第14回日本国際美術展」で京都国立近代美術館賞、「第5回現代日本絵画展」で大賞など、次々と受賞する。
それが現在の作風とも繋がる、細い糸を布に織り込んだ布の作品だ。よどみないエネルギーと大胆な迫力を合わせ持つ具体時代の作品とは異なった極めて計画性に富んだ制作方法で、計算された構図と繊細な陰影によって表現されたモノクロームの画面が創造される。
60年代から80年代の一連の作品は日本の先史時代美術、すなわち縄文土器の文様を想起させるところがある。約1万2千年前にさかのぼるとされる日本の土器は、世界最古級の古さを誇り、世界に類をみない造形物だ。その土器の出現から、約8千年たって日本列島にほぼくまなく広がったのが縄文土器だ。その中でも縄文時代中期で越後(新潟県)の火焔形土器様式は、実用にほど遠い造形美と文様に古代日本人の美術の原風景が感じられるものだ。前川の具体時代のよどみないエネルギーと大胆な造形は、この火焔形土器の造形美を彷彿させる。具体解散以後に制作された、布に細い糸を縫い込んだ作品は、縄文土器中期の曽利式土器(山梨県)の計算されたプロポーションに反復する端正な重孤文のイメージが重なる。
前川が縄文時代中期の土器から直接的に影響を受けたかはさだかではないが、日本固有の造形美の源泉を誇る縄文土器の文様の中に、彼の造形思考の原点があるかもしれないと思った。前川の体に脈々と流れる縄文の美意識や美学があるとするならば、そのDNA は時空を超え現代によみがえっている。半世紀以上にわたる創造の源は、こんなところにあるのではないだろうか。
また一方、90年代から2000年代に入ると、前川作品に鮮やかな色彩の花が咲く。赤、青、黄といった三原色のアクリル絵の具を使った鮮烈で軽やかな色彩だ。それらは光そのものを画面にとらえようとした試みかもしれない。
それらは物質性や触覚性から転じて、視覚性や空間性を意識したような作品群だ。しかし近年は、再び具体時代のドンゴロスと油彩を使ったモノクローム作品へと回帰し、仏教思想である輪廻転生を実践しているようにみえる。
約半世紀を経て、また原点にもどっての制作意欲がみなぎる前川作品に、さらなる期待が高まる。
(月刊ギャラリー6月号2013年に掲載)