作品の道筋というものは時として、筆致をカンヴァスや紙に擦りつけられることでなされる。結合したり衝突したりと、ストロークの種類が如何なるものであれ、それなすがままに任され、時として思考の入り込む余地のない混じりけのない表現となる。

‘Walking(歩くこと)’、Road Curve(湾曲すること)’、 Speaking(話すこと)’、 ‘Peeing(放出すること)’という4つの単語は、アーティストたちの制作のありようをそのまま表している。それらは互いに関連ないようにみえながら、反発しあうものでもない。今展の展示作品のように、鑑賞者に親しげに話しかけてくるようにみえながら、次の瞬間には突き放す。それこそがアーティストたちが目指しているテンションともいえる。

展示作品から、我々は情報過多時代を生きているという共通項のもとに結集した異なるパーソナリティに気づく。情報とメッセージの断片は日常生活のなかで混じり合い、我々に連帯感を感じさせるときもあれば疎外感も味わわせる。次のように考えてみよう。もし人間の認知システムを一連のビーズに喩えるならば、そして突如その結び目がほどけてしまったならば、ビーズが落下する刹那に我々が感じるのは空虚さであり、違和感であり、疎外感でさえあるだろう—我々の思考は離反してしまうのだ。しかしながら、こうした瞬間でさえ、我々は想像力を泳がせ、全く新しいヴィジョンを得ようとする。

鑑賞者に新たな方向性を示唆するというよりも、すでに慣れ親しんだ要素で再構築しようとする。物の意味は再論議・再構築され、それまでの「意味するもの」と「意味されるもの」の関係はもはや絶対的なものではなくなる。あたかも、作家が筆を落とし、後ずさりし、作家が気づく前にある形を成してしまっているという制作の初期段階を想起させるかのように。