ホワイトストーン・ギャラリー台北では、台北国立芸術大学修士課程を修了した5人の若きアーティストによるグループ展『ハイブリッド・ヴィジョン』を開催致します。会期は7月28日から8月19日まで、会場はホワイトストーン・ギャラリー台北忠孝館。今展では、循環システムや写真機の一元化と分化だけでなく、それら二つのあいだにある拮抗までもが観るという主体を完全に断片化しています。

明らかに、伝達し受容するという写真技術のエンドユーザーとして、個人はもはや不自由な鑑賞者ではないものの、依然メディアの影響下にある虚しき生産者であり続けています。イメージそのものをひとつの反逆的歴史と捉えるならば、私たちが直面している窮地とは、完全にそのイメージの制御不能に陥っていることです。イメージの視差は、人間の見るという体験を一般化しながら、プンクトゥム*を減少させ知覚を弱める一方で、眼球の強烈な疲弊へと帰結します。

イメージの氾濫よってもたらされる知覚の不均衡は、没頭する・集中する・凝視する、といった人間の意志を失わせます。このように、イメージは歴史的なジレンマであると同時に災厄そのものでもあります。知覚のレヴェルでは、20世紀の初頭にジークフリート・クラカウアーによって提唱された知覚変容の来し方に思いを巡らせたとき、どんな周縁的な視覚であれ、私たちは新たな知覚世界を切り拓いていると言えるのでしょうか?現代の状況はさらに複雑になっています。「すべてを感じとること」とは、メッセージを発信し受容することだけでなく、機能的な写真技術やメディアの流通システムの獲得に関わる能力をコントロールすることだけでもありません。むしろ、それは多方角的で交差的、かつ多様化した知覚能力を通して形成される「重複するヴィジョン」と「ハイブリッドな知覚」への包括的かつ段階的な移行であるといえます。(テクスト: リャン・ティン・ユー)

* ロラン・バルトが提唱した、一般的な体系を揺さぶり、破壊し、コード化不可能な細部を発見するに至る体験のこと