オノサトトシノブ オノサトトシノブ

オノサトトシノブ

オノサトトシノブ
オノサトトシノブ

1912年長野県飯田市生まれ、群馬県桐生市で育つ。1931年津田青楓の津田洋画塾に入塾。1935年二科展に初入選、同年、前衛グループ「黒色洋画展」を結成する。1942年には太平洋戦争に徴兵、終戦を満州で迎える。終戦後もシベリアに抑留されていた体験が、のちの作風に決定的な変化をもたらす。日本へ帰国してからの作風は抽象化が進み、円と線が縦横無尽に画面を覆うようになる。1955年には名前の表記をすべてカタカナへ変更、これは同一モチーフを羅列するスタイルと連動する。1950年代は版画制作に傾注。1956年、1938年より所属していた自由美術協会を脱退。1960年代には円の内部をさらに分割し、抽象の精度を高める。1961年にワシントンD.C.のグレス画廊で個展。1963年第7回日本国際美術展に出展、最優秀賞を受賞。1964年グッゲンハイム奨学金獲得。1966年第34回ヴェネツィア・ビエンナーレ出展。錯視的効果を生む独自の抽象画で、国際的に活躍するとともに戦後画壇で異彩を放つ。1986年、逝去。1992年桐生市にオノサトトシノブ美術館が設立される。

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