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具体の創立から解散まで全てを知る“上前智祐”の創作活動

上前智裕

具体美術協会に関して発行された書籍『GUTAI STILL ALIVE 2015 vol.1』をデジタルアーカイブとしてお届けするシリーズ企画。第4回目は美術史家であり多摩美術大学教授を務めた本江邦夫氏が、上前智祐とその作品について語る。具体の創立会員であると同時に、解散まで留まりつづけた数少ない人物の1人であり、生涯を懸けて制作に打ち込んだ上前智祐。上前の作家活動や作品の魅力を、作家の制作活動の変遷とともに、本江邦夫氏の熱の込もった言葉でご紹介する。

労働者=画家

「本江邦夫( 多摩美術大学教授)」

上前智祐は、1954年に大阪の製油会社の社長であり前衛芸術家だった吉原治良が創設した具体美術協会いわゆる<具体>の創立会員の一人であり、72年の吉原の逝去によるその解散までとどまりつづけた数少ない一人である。1920年、京都府の寒村に生まれた彼が筆舌に尽くしがたい貧困ゆえに早くから社会最下層の肉体労働に従事し、無頼の徒ぎりぎりの生活を送る中で、にもかかわらず芸術、それも真正の前衛的なそれに開眼していった本当の理由についてはまったく分からない。いかなる恩寵か奇跡か、小学校を出るのがやっとの幸薄き若者に、狙いすましたように〈芸術〉の種子が撒かれたと考えるしかないのである。実際、これはこの画家の人と芸術についてもっとも感動的なことの一つだが、彼は貧しいにもかかわらず売り絵で生計を立てようとはまったく思わず、日々の重労働をきちんとこなす傍で、ひたすら自分自身のために制作してきたのである。1947年の日記にはこうある。「僕は働いて食はなければならないのだ。然し僕の生命は絵を描く事によって保たれるのだ」(中塚宏行の編集になる「上前智祐年譜」)と。そして上前の芸術の最大の強みは、それが彼の現実= 労働とまさに分かちがたく結びつくことで、再現的な次元を遥かに超えたある種の普遍性、つまりT・S・エリオットの言う「客観的相関物」(Objective Correlative)の域に到達していることなのだ。

1953年11月、教えを請おうと芦屋のお屋敷に吉原治良を訪ねたとき、上前智祐は典型的な独学の労働者= 画家であり、注目すべきは、そう命じられたわけでもないのに、毎週のように自作を何点も吉原邸に持ち込んでは忌憚のない批評もしくは酷評を浴びつづけたことである。

〈具体〉の絵は、勢いで瞬間的に仕上げられた印象を与えるものが大部分である。ほとんど唯一の例外は上前智祐の、絵具の物質性を濃厚に示す無数の点描によって重層化された抽象的、いやむしろ絶対的な画面だが、これにしても鋳造工場に勤務する彼の特異な日常に根ざした、まさに「自分の軌跡」を確認する行為の一環と考えれば立派に〈具体〉的な作品である。彼が点にこだわるのは、そこに生きとし生けるものの存在の痕跡を直観したからであり、だからこそ彼は説明的かつ描写的な「文学的要素を否定することによってまず点を打った」のであり、ここにおいて点は相異なる個々の点として、まさに存在の直接的なメタファー、痕跡なのである。同じことは、パレットナイフによって絵具の線を際限なく刻みつけていく、どこか祈りの行為を思わせるオールオーヴァーの霊的な絵画、また自己の存在そのものを縫い込んで実体化したオブジェについても言えるだろう。上前智祐の点と線は、卑近な日常を懸命に生きる画家の呼吸であり鼓動であり、そこにこそ彼の比類なき現実の芸術的真実があるのだ。

ところで上前智祐といえば、アンフォルメルの主宰者ミシェル・タピエから受けた手放しの賞賛に言及しないわけにはいかない。1958年4月の『新しい絵画・世界展―アンフォルメルと具体』(大阪・高島屋)においてタピエは上前の赤一色の100号を会員たちの前で絶賛し、何とそれをフランツ・クラインとリオペルの間に配したのである。後に1966年以降、上前は東京の日本画廊で個展をするようになるが、笹木繁雄によれば、そのきっかけを作ったのもタピエだった。

アンフォルメル宣言書ともいうべき『別の芸術』(1952)において彼は、形を抜きにしては成立しえない彫刻にたいして、絵画に本質的な自在さを前面に押し出した。実際、彫刻家とちがって「画家は、無限に増幅される技法を、これ見よがしに自在に用いることによって、もっぱら形抜きで行動する。(・・・)深い無秩序のなかで形抜きで行動するのだ。」ここで注目すべきは、上前の自在な制作、マッチの軸だけを60キロも固めたもの、あるいは1970年代半ばに登場し、その後の上前の芸術の高みを決定づけたもの、つまり丁稚奉公時代に体得した縫う力を徹底的に追求し堆積させることで存在と行為を強固なまでに物質化したものはタピエの理念を具現化すると同時に、遥かに超えてしまっていることである。というのも、タピエの無秩序に秩序を取り戻した画家、それが上前智祐だと私は思うからである。

上前智祐は抜き差しならない自らの現実と葛藤するなかでそれを自律的な作品と化し、そうすることで自己を確立した芸術家である。彼は言っている。「万能的に訓練されてきたこの10本の指は、脳から神経をへたイメージを選ばれた素材に刻みつける」と(1998年)。脳(知性)と手(感覚)の何という連携、融合だろう!上前智祐にあっては指先の感覚つまり彼の、まさに<具体>的な現実を追求すること自体がすでに芸術なのではないか。ここまで比類なく独自の芸術家を私たちはなぜ今まで見逃してきたのか? 上前智祐の実像は、今やっと見えてきたばかりである。

“具体美術協会”の詳しい紹介はこちら »

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