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画家の白髪一雄と郷里・尼崎にある白髪一雄記念室

22/35-GUTAI STILL ALIVE 2015 vol.1

具体美術協会に関して発行された書籍『GUTAI STILL ALIVE 2015 vol.1』をデジタルアーカイブとしてお届けするシリーズ企画。第22回目は具体メンバーであり、国際的に評価の高い白髪一雄をご紹介。故郷である兵庫県尼崎市への郷土愛や、白髪逝去後に巡回した回顧展の裏側エピソードなど、白髪一雄という1人の画家の人間性に迫る。


国際的な評価の高いアーティスト 白髪一雄は郷里・尼崎を愛した


具体美術協会の作家は、具体発祥の地・関西に居を構えていた人がほとんどだ。当然、その家族もやはり関西に今も住んでいる。第1回具体美術展(1955年)は東京の小原会館で行われたものの、その後、あくまでも関西での発表が中心で、東京という地を経由しないで、直接世界へと活動を展開していった。これは「具体」の作家たちの立脚した位置を明確にしているように思える。

今回の白髪一雄も、具体の中心メンバーだったアーティストだが、郷里・尼崎を大切にしていた。当地の有名な祭りである「喧嘩だんじり」が、幼少の頃の白髪一雄に大きな影響を与えていると聞いた。地域の文化にしっかりと地を着けたところから、国際的な作家がでてくるのだろう。

昨年2013年11月4日、白髪一雄の生まれ育った郷里・兵庫県尼崎市の尼崎市総合文化センターに、白髪一雄記念室が開設された。その記念展として、同文化センターの美術ホールでは「白髪一雄 —描画の流儀—」が12月1日まで開催された。

この展覧会には1952年制作の「本能の結集」や、「流脈1」(53年)など、足で描くアクション・ペインティングに移行していく過程の油彩作品から、代表作「水滸伝シリーズ」の作品など、大作9点が出品された。

同時に、記念室では第一回展示として「初公開 甦った初期作品を中心に」が行われた。これは1947年から52年までの作品10点による貴重な作品の紹介で、日本画を描いていた京都絵画専門学校時代の風景画、そして白髪の没後に発見された新制作派協会に出品していた最初期頃の油彩など、白髪初期の知られざる世界を見せてくれた。これらの展示すべては尼崎市が所蔵している作品で行われた。

尼崎市には、こうした白髪一雄の貴重な作品の他、白髪が所蔵していた図録や書籍などの資料も寄託されている。

「白髪先生からは昔から作品を市の施設や学校などに寄贈して頂いていました。先生は市民芸術賞という文化賞を受賞された他、市の総合計画審議会の委員や教育委員を務められたり、芸術だけでなく、市の全般についていろいろ提言をしていただいていました。愛する郷土の役に立ちたいという思いが強かったのだろうと思います。ですから、こちらも何かしなくてはいけないということはあったんです」

尼崎市総合文化センターの白髪一雄記念室担当の妹尾綾学芸員はこう話す。こうした関係が記念室の開設のベースになっている。ただ、妹尾さんはこの記念室開設が実際に計画される以前、白髪一雄の展覧会が計画された当時も担当になっていた。

「 今から8年くらい前になりますが、白髪先生がご高齢になられて、ご自身からここの尼崎市総合文化センターを中心に、全国を巡回する展覧会を企画できないだろうかという話を頂きました。1989年に一度白髪一雄展を開催させていただいていましたが、今回は先生のこれまでの仕事を総括しようという展覧会のような位置づけでした。先生は、この話をお持ちになる前に、おそらく、もの凄く考えておられたと思いました。展覧会のシリーズ立てをきちんと整理されて、何々シリーズはこの作品でどこの美術館が所蔵しているということを全部手書きされたものを見せていただきました。それでも、先生は謙虚な方で、あくまでもこれは僕の考えた案で参考にしてくださいとおっしゃいました。白髪先生の作品のマネジメントを一手に担っておられた株式会社まつもとにも全面的にご協力をいただけるということで、私たちはそれを実現する方向で行こうと準備を始めました」

そこで尼崎市総合文化センターでは、展覧会を実現するための予算の作成、助成金などの手続き、他の美術館との交渉など、さまざまな作業を進めていく。しかし、その準備段階の途中、2008年4月に白髪一雄は他界し、展覧会は、白髪の案を基本にした回顧展として実現することになった。翌年2009年4月安曇野市豊科近代美術館を皮切りに、7月には同センターで没後初の回顧展として「格闘から生まれた絵画 白髪一雄展」が行われた。続いて9月からは関東では初になる白髪の回顧展として横須賀市美術館に、2010年には碧南市藤井達吉現代美術館に巡回された。

「 先生のシリーズ立ては、よく学芸員がやっているような時系列で作品をまとめたものではなく、先生の興味から、全部自分の作品を見たときに、こういう思いで創ったんじゃないかと後で総括したようなものでした。水滸伝シリーズとか代表的なものは分かっていましたが、その他に密教シリーズだとか、中国古代歴史シリーズであるとか、面白いのは明度の高い絵具についてもご興味があったようで、透明油絵具によるシリーズというのもありました。その他ウーマンパワーシリーズとか、いろいろありましたね」

白髪自身が自らの作品を総括した展覧会は、回顧展という形に繋がって、希望した巡回展としても実現した。

この展覧会の準備のために、白髪一雄から託された資料や図録、書籍などが、貴重な研究資料として、尼崎市総合文化センターに保管されることになった。これが記念室開設のための大きなステップとなる。

「 白髪先生から、展覧会の資料としてぜひ活用して欲しいとのことでお預りし、その後、遺族の方からも追加して資料を託して頂き、市が所蔵している作品と合わせて、記念室の貴重な資料となりました。それで昨年、まだ小さな規模ですが、念願の白髪先生の作品を常時展示する記念室ができることになりました」

今後、白髪一雄の研究に欠かせない記念室として、データベース化を進めるなど、一層充実した内容を目指すという。

「 白髪先生にとって、尼崎は特別だったみたいですね。私は尼崎の人間じゃないのでその真髄は分からないですけど、やはり尼崎を調べることが、白髪一雄という人間を知る大事な手がかりだと思います。尼崎の有名な〈喧嘩だんじり〉のお話を聞いた時、山車と山車がぶつかる壮絶な祭りで昔は怪我人もでたらしいんですけど、子供の頃に見たその祭りが強く印象に残っていると聞きました。いつも穏やかな白髪先生からは想像できない、荒々しい血を思わせる赤は、こういう記憶が関係しているようです」

故郷・尼崎に記念館ができた白髪一雄の、その作家としての姿は、この尼崎に理解の秘密が隠されているという。そういう意味でも、ここに記念室が開設された意義は大きい。

(月刊ギャラリー1月号2014年に掲載)

“具体美術協会”の詳しい紹介はこちら »

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