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村上三郎|一瞬にして鮮やかに成立する“美”

23/35-GUTAI STILL ALIVE 2015 vol.1

具体美術協会に関して発行された書籍『GUTAI STILL ALIVE 2015 vol.1』をデジタルアーカイブとしてお届けするシリーズ企画。第23回目は具体の中心メンバーであり、通称“紙破り”で有名な村上三郎にスポットライトを当てる。村上三郎と交流をもち、具体作品を多く収蔵する芦屋市立美術博物館で学芸員としてのキャリアをスタートした山本淳夫氏に話を聞いた。


村上三郎、一瞬にして鮮やかに成立してしまう〝美〟がある

山本淳夫 (やまもと・あつお/横尾忠則現代美術館 学芸課長)


上司に連れられて村上さんと初めてお目にかかった時のことは、今でもよく覚えている。具体のなかでも「哲学者」「理論派」と聞いていたこともあり、学芸員になりたての筆者はかなり緊張していた。ところが実際の村上さんは、拍子抜けするくらいあたりの柔らかい人だった。人懐っこい笑顔で、相手をたちまち武装解除してしまう。「山本さんは、何がご専門ですか?」と尋ねられ、「いちおう美術史学科出身なんですが、実は学校サボってばかりで… 恥ずかしながら絵のことはあまり分かってないので、一から勉強します」と正直に告白したところ、返ってきたのは意外な答えだった。「それは素晴らしい! 先入観なしにモノがみれるのは、とてもいいことですよ」… いま思えば非常に高度なことをいわれた訳だが、この時は単純に気が楽になった。この勘違いのおかげで、今日まで仕事を続けられたようなものである。

具体の回顧展(ペンローズ・インスティテュート、東京 1933)のオープニングの宴席で、「あのね、村上“ 先生” いうのんやめませんか。村上“ さん” でええよ」といわれたのも忘れられない。具体の作家たちはそれぞれ強烈に個性的で、それだけにぶつかり合うこともあったが、主要なメンバーのなかでも、村上さんは誰からも一目おかれる希有な存在だった。それは村上さんが(肩書きや年齢を含む)あらゆる夾雑物なしに、極めて純度の高い視線でモノをみようとされていたことと無関係ではないと思う。

ところがその村上さんが、取りつく島もないほど冷徹になる瞬間があった。それも、上記した村上“ さん” と呼んでくれ、という発言の、ほんの小一時間も前のことなのである。オープニング・セレモニーとして、村上さんは美術館の正面玄関で《入口》を制作した。この作品が最初に発表されたのは第1回具体美術展(小原会館、東京 1955)にさかのぼる。展示室の入口全面をハトロン紙で塞ぎ、全身で突き破る、いまでいう“ インスタレーション” や“ パフォーマンス” の先駆ともいうべき作品である。入口を塞がれた展示室全体が共鳴箱となり、空間そのものが巨大な打楽器と化す。この“ 音” の迫力は、記録写真からはとても想像がつかない。

すでに日は落ちていた。度肝を抜く炸裂音とともに、紙の裂け目から漏れ出た光が美しかった。感動した筆者は駆け寄って声をかけたのだが、予想に反して村上さんはギロリと横目で睨むだけで、一切口をきいてくれなかった。後で「パフォーマンスの後は、どうもしゃべる気にならんのや」とフォローしてもらったが、その時は訳が分からず「何か失礼でもあったかな」と当惑したものだ。

《入口》の魅力は、行為の前後で世界がガラリと一変したかのような感覚を産み出す点にある。村上さんは大音響とともに一瞬にして異空間へと移動し、ふたつの空間はひとつになった。あの時の村上さんは、あたかもヒヨコが卵の殻を破るかのように“ 生まれ変わった” ばかりだったのかもしれない。

うまくいえないが、村上さんにとって芸術作品とは、ある種の“ 飛躍” のようなものと紙一重だった気がする。例えば、嶋本昭三さんの体感する作品《この上を歩いてください》に対する批評はなんとも独特だった。「あの作品はどこがすごいって、モノは目の前にあるんやけど、本質はこーんなとこにあるねん」と、遥か頭上を指差すのだ。コツコツ努力を積み重ねるのはもちろん尊いことだが、そんなこととは一切無関係に、一瞬にして鮮やかに成立してしまう“ 美”がある。村上さんの美意識は、そうした一種のダンディズムのようなものと通じあっていた。

具体時代の絵画についても語りたいが、とても誌面が足りない。具体が解散する前後から、70 年代には興味深い個展を精力的に開いている。極めつけは「無言」である(無減社、大阪 1973)。まさに「一言もいわないことが作品」という、これは極端な例としても、当時の作品は従来の意味での表現を放棄したようなものばかりである。そして80年代以降は個展を一切開かなくなってしまう。

これは普通なら完全にフェードアウトとみなされるだろう。生涯の盟友だった元永定正さんは「三ちゃんはすごいオモロイこと考えてるから、再三“ 本に書け” いうのに、何もしよらへん。ほんま、村上“ サボろう” や」と、彼なりの表現でその才能を惜しんでいた。しかし村上さんがたどり着いたあの境地は、決して単なるリタイヤではなかった。そのあたりを理解するには『ビターズ2滴半―村上三郎はかく語りき』(せせらぎ出版、2012)をぜひお読みいただきたい。晩年の村上さんが通い詰めた“ バー・メタモルフォーゼ” のマスター、坂出達典さんが書き溜めていた語録であり、村上さんがあらゆる美術のシステム化から徹底して自由であろうとしていた様が生き生きと伝わってくる、筆者にとってまさに“ バイブル” のような本である。

村上さんの生涯は、結果的に主要な3つの紙破り作品によって完結している。すなわち前述した《入口》(1955)、21枚のハトロン紙のパネルを破り抜ける《通過》(1956)、そして柔らかい薄葉紙を破って屋外にふわりと通り抜ける《出口》(1994)である。本来なら、1996年に芦屋市立美術博物館で開催された個展(筆者が担当していた)において更なるパフォーマンスが行われる予定だったが、オープンの3ヵ月前に村上さんは突如この世を去った。多くの人々が、作家の“ 不在” を、その最後の作品だと感じずにはいられなかった。

(月刊ギャラリー7月号2014年に掲載)

“具体美術協会”の詳しい紹介はこちら »

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